ここから本文です

パール・ジャムの名盤『Ten』:あなたが知らなかった10のこと

ローリングストーン日本版 9/6(火) 18:30配信

『Alive』に与えたキッスの影響や、ヒットチャートでバンドの邪魔をしたビリー・レイ・サイラスの存在など、25年前のグランジ最高傑作について見てみよう。

パール・ジャムのB面曲ベスト10

この四半世紀で最も成功したロック・バンドのひとつであるパール・ジャムは、今までのキャリアで10枚のスタジオ・アルバムと数えきれないほど多くのライヴ・アルバムや公式ブートレグをリリースし、全世界でおよそ6000万枚ものアルバムを売り上げている。だが、もし彼らがリリースしたアルバムがこの1991年のデビュー作『Ten』の1枚だけだったとしても、ロックの歴史におけるバンドの地位は揺るがないだろう。今年8月27日で発売25周年を迎えた『Ten』は、『Alive』や『Jeremy』、『Even Flow』といったモダンロックの名曲を世に放ち、無名だったエディ・ヴェダーの超大物フロントマンとしての地位を確立させ、全米だけで1300万枚以上を売り上げた作品だ。

良くも悪くも、『Ten』の成功はシアトルのロック・シーン(と「グランジ」文化全般)を後押しし、このジャンルが全米の注目を浴びるようになり、パール・ジャムの激しく轟くような迫力やヴェダー独特のうなるようなバリトン声を露骨に真似するマイナー・バンドがたくさん現れた。また、いわゆるオルタナティヴ・ロックとメインストリーム・ロックの区別を曖昧にし、バンドの評論家やファン、ミュージシャンの間では、パール・ジャムはメジャー・レーベルの裏切り者なのか、もしくは、彼らの音楽的ヴィジョンが偶然アリーナを満員にするほど受け入れられただけのひたむきなアーティストなのかと、激しい議論が巻き起こった。

今では、そのような議論も落ち着き、混乱も収まっているが、『Ten』は今もなお、その時代を象徴するアルバムのひとつとして存在感を放っている。それでは、アルバムのリリース25周年を記念して、『Ten』についてあまり知られていない10の事実を紹介しよう。

1. 『Ten』は、少ない予算で制作された。
1990年3月、バンド唯一のフルアルバム『Apple』のリリース直前に、フロントマンのアンドリュー・ウッドをヘロインの過剰摂取で失ったバンド、マザー・ラヴ・ボーン(MLB)の残りのメンバーを中心に結成されたパール・ジャムは、MLBのようなコストの無駄遣いや失敗を避けようと決めていた。「(『Ten』の)制作にかかった費用は2万5000ドル程度で、ミキシングをしたのは3回ぐらいだったと思う。それでもマザー・ラヴ・ボーンのアルバム制作費用の3分の1程度かかった。このアルバムがこんなに大ヒットするとは思っていなかったけど、何だかそうなっちゃったみたいだね」と、ベーシストのジェフ・アメンはクラシック・ロック誌に語っている。

2. 『Alive』はデモ音源だった(追加された部分も若干あるが)。
1991年1月、パール・ジャム(当時のバンド名はまだムーキー・ブレイロックだった)は、シアトルのロンドン・ブリッジ・スタジオで、後に『Ten』のプロデューサーを務めることになるリック・パラシャーと共に、デモ・セッションの一環として数曲のレコーディングを実施した。その時に録音された曲のひとつが、パール・ジャムの不朽の名曲『Alive』だった。バンドは、3月と4月に実施した『Ten』の正式なレコーディング・セッションの際に、『Alive』のデモ音源のようなパワーと激しさをもう一度再現するのは不可能だと判断した。そのため、アルバムの最終ミックスで、アウトロ部分にマイク・マクレディのギターソロを新たに追加してはいるが、アルバム(とファースト・シングル)にこのデモ音源を使うことにした。「俺たちはあの時録音した曲をアルバムに入れた。あれは本当に素晴らしかった」と、アルコール問題のせいで『Ten』のリリース前にバンドを辞めさせられたドラマーのデイヴ・クルーセンが、ドキュメンタリー本『Pearl Jam Twenty』で振り返っている。

1/3ページ

最終更新:9/6(火) 18:30

ローリングストーン日本版

記事提供社からのご案内(外部サイト)

RollingStone 2017年WINTER

株式会社パワートゥザピープル

2017年WINTER
12月10日(土)発売

880円(税込)

特集:The Rolling Stones
約11年ぶりの新作インタヴュー
ONE OK ROCK
SUGIZO/TAKURO
浅井健一/西島隆弘 AAA

Yahoo!ニュースからのお知らせ

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。