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博報堂→老舗宝石商、次男が選んだ家業への道

R25 9/7(水) 7:00配信

会社員を経験し、家業の跡継ぎになることを決めた人は、サラリーマン時代の経験をどのように生かしているのだろうか。博報堂でマーケティングを担当していた梶田謙吾さんは、入社5年目に、家業を継ぐことに決めたという。実家はジュエリーの製造と卸売りをする創業100年近い老舗企業。その想いを聞いた。

継ぐきっかけは、自ら主催した兄弟会議

大学時代は広告学研究会に所属していた梶田さん。当時から広告に興味があり、卒業後は希望通りに博報堂へ入社した。博報堂といえば、電通に次ぐ広告代理店の大手。そこでマーケティング業務に従事し、国内大企業のブランディングや商品開発などを担当した。

「博報堂では、案件ごとにチームで動いていました。大きなクライアントを相手にしたプロジェクトは達成感がありますが、大勢のスタッフが関わっていて『自分が成し遂げた仕事』と胸を張って言えない面もありました。日々の仕事にやりがいを感じつつも、入社3年目頃から『自分にしかできない仕事ってなんだろう』と、モヤモヤと考えはじめたのです」

当時27歳、会社を辞めて起業する同僚も出てくる。「自分の力で何かを成し遂げたい」という思いはあったが、ベンチャーを興すほど血気盛んではなかったという梶田さん。思い出したのは、ずっと気にとめていた家業。男ばかり三兄弟の真ん中だったため、兄が継ぐのだろうと漠然と考えていたが、それまでとくに話し合うようなことはなかった。

「そこで、父に内緒で兄と弟に声をかけて“兄弟会議”をしました。堅苦しいものではなく、軽い感じで飲みに誘ったんです。聞くと、兄も弟も『継ぐ気はない』と言うので、それなら自分がやろうと考えはじめました。家業こそが探していた『自分にしかできない仕事』なんじゃないかと…。新卒から様々なことを学ばせてもらった博報堂には大変な恩義があるので、退職は後ろ髪を引かれる思いでした。ですが、いつか必ずクライアントとして同僚のみんなと一緒に仕事ができるよう、家業を成長させよう! という目標を自分の中で立て、博報堂を退職することを決めました」

入社5年目、梶田さんは博報堂を退社して家業に入った。

“茶飲み友だち”がお客様!? 戸惑った平社員時代

梶田さんの父親は、息子だからとすぐに役員へ迎え入れるようなタイプではなかった。まずは平社員として入社し、実績を積むことを求められた。半年ほど働いた後、アメリカのカリフォルニアにあるGIA(Gemological Institute of America:米国宝石学会)へ留学。1年間、宝石の鑑定方法や専門用語などについて学んだという。

「卒業後、実家に戻り営業を担当しましたが、なかなかうまくいきませんでした。サラリーマン時代に関わっていた不特定多数の生活者を相手にする『マスマーケティング』の世界とはまったく異なっていたんです。地方の百貨店では、地元の老婦人が店員と茶飲み友だちのようにおしゃべりをして、ぱっと宝石を買ったりする。その店員に自社の商品を売り込むわけですが、なかなか仕入れてもらうイメージがつかめず、経験豊富な営業スタッフにはかないませんでした」

元広告マンのスキルを生かし、新たな販路を開拓

「卸売りの営業で既存のスタッフにかなわないなら、彼らにその領域を守ってもらい、自分は新しい価値を家業に提供したい」と考えた梶田さんは、国内オンリーだった販売先の海外展開を考えるようになったという。留学した際に苦労して身に付けた語学や専門用語、博報堂時代に培ったマーケティング思考も役立つ。ドバイや香港などでのジュエリーショーに積極的に出展するうちに、商品の強みやマーケットも絞れてきたそうだ。

「梶田」の強みは、世界の市場でも通用する最高レベルの宝石の品質と日本製品ならではの作りの良さ。とくに中華圏の人は宝石に資産としての価値を見出すため、「高品質」を前面に打ち出すことが効果的だった。

「華僑の多いシンガポールのジュエリーショーに出展したのは正解でした。幸運にもシンガポール伊勢丹のバイヤーに気に入ってもらうことができ、伊勢丹で期間限定の店頭ポップアップショップを開催する運びになったのです」

それまでBtoBで卸売りしかしてこなかった「梶田」を、その時初めてコンシューマー(一般消費者)向けに「KAJITA」というブランド名で売り出した。博報堂時代の同僚が設立したデザイン会社に発注し、ブランドロゴや、販促用のパンフレットも制作。イメージ通りのものができあがったという。

ポップアップショップでの評判は上々で、シンガポール伊勢丹以外の百貨店からも声がかかるようになった。会社員時代の経験や人脈、家業を継いでから身に付けたスキルを組み合わせ、「海外展開」と「コンシューマー向け事業」を同時にスタートさせたのだ。

(栃尾江美/アバンギャルド)



(R25編集部)

※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびR25から一部抜粋したものです
※一部のコラムを除き、R25では図・表・写真付きのコラムを掲載しております

最終更新:9/7(水) 7:00

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