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私の台本の読み方 『ペール・ギュント』 (ヘンリック・イプセン 著)

本の話WEB 9/7(水) 12:00配信

 真新しい台本が一冊送られてくるたび、私はひとりの男と出逢う。数か月かけて、その男を自分の中に息づかせる作業が始まるのだ。

 台本は小説とはまったく違う形式だ。演劇では冒頭に気の遠くなるほど長い状況説明のト書きが来ることがある(映像と違い、視覚表現に限界があるので、作家は最初に細かく指示を書いておくのだろうか)。その後は、最後まで、ただひたすらセリフが並ぶ。時折、状況や感情を示すト書きが入る。間(ま)を表す「……」が多用されることもあり、読み慣れていないと、とっつきにくい印象を受けたり、物語の展開を頭に入れることが難しくなる。

 俳優はどのように台本を読んでゆくのか? 千差万別だが、私の場合を少しご紹介しよう。

 最初にタイトルをじっと眺める。主人公の名前だったり、象徴的なセリフの一部だったり、暗喩だったりと、色々だ。このタイトルの意味するところは?と、簡単に推理してみる。

 登場人物の一覧を見る。名前の下に、年齢と主人公との関係や職業が記されている。どんな人間関係が描かれるのか、イメージをなんとなく膨らませてみる。

 結末を読む。物語がどう落とし込まれるのか、演じ手としてゴールを知っておく。私にはそれが大切になる。

 全体の構成を確かめる。映像ではシーンを、演劇では幕と場面をたどってゆくのだ。その際、自分の「役名」をラインマーカーで塗ると、どこでどの程度のセリフを発することになるのか、果たすべき役割の流れを感じることができる。

 以上が、台本を熟読する前の準備。外枠から攻める感じだ。

 最初に台本に目を通すのは、演劇の稽古や映像の撮影が始まる前となる。演出家や監督から演出プランを聞いてもいないし、他の俳優がどんな演技をするのかも分からない白紙の状態。

 私は、自分の役だけではなく、すべての役について、具体的な顔というよりは、声の質やトーン、口調などを想像しつつ読んでみる。それぞれの年齢にふさわしい話し方や、自分の役については、どんな造形の可能性があるか、直感を大切に読む。すると台本のセリフが少しずつ粒立ってくる。余談だが、実際に現場に入ってみると、本役の方の演技が、私が思い描いたのとはまったく違っていて、驚くことがある。解釈の違いを知るのは楽しいものだ。

 これまでの経験から初めて台本を読み、「これは良い本だ」と思った場合は、だいたい読み込みの方向性は間違っていない。いっぽう、「これは手ごわいぞ」と思う時は、往々にして何かが足りない。それが何かを考えながら、幾度か読んでゆくうちに、台本以外に調べるべき課題が浮かび上がってくる。それらを私は、稽古や撮影が始まるまでの時間を使ってクリアする。演劇だと外国人を演じることが多いので、国や地域、文化や習慣など、調べることは限りなくある。

 たとえば先日、ノルウェーの作家イプセンの「ペール・ギュント」全編を朗読した。しかも、グリーグ作曲の音楽をオーケストラが演奏しつつの朗読。この下調べは興味深かった。北欧の民話に出てくる妖精たちの存在、戯曲が書かれた一八六七年当時の北欧に住む人々のアメリカへの想い、砂漠のイメージなどを知るにつれ、セリフのみならず音楽までも深く理解できた気持ちになった。

 台本の話に戻ろう。

 次は稽古の中で、台本のセリフを生きた言葉にする作業になる。二次元を三次元に移行させるのだ。黙読ではなく音読をしながら、話す速度やトーンを変えたり、様々なニュアンスを試してみる。時には方言と格闘する。そうして何度も何度も繰り返し身体に通してゆく。書き込みや付箋が増え、台本は、ボロボロになってゆく。しばらくして、セリフが自然と身についているのに気づく。演じる男の言葉となって息づくのを感じるのだ。

 セリフが本当に定まるのは、本番の環境に入ってからだ。舞台上で、効果音や音楽を聴き、照明を浴びながら。あるいは、映像のセットやロケ地で、リアルな生活環境に身を置きながら。演出家や監督の指示を受け、その男として動き、語る。相手役の言葉を受け、言葉を返す。心に湧き起こる感情は刻々と変わり、言葉のイントネーションや強さも変化する。すると、台本に書かれていないもの、演出の意図以上のものが無意識の内に生まれてくる。それが、行間を読む、ということなんだろう。

 だが、すべて順調に進むわけではない。何かが原因で、芝居がうまく進まない時が多々起こりうる。そんな時、いつも立ち帰るのは、表紙が擦り切れ、ページが破れ、ばらばらになる寸前の台本だ。私にとって台本は、スタート地点であり、目指すべきゴールなのだ。

文:石丸 幹二

最終更新:9/7(水) 12:00

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