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病室での断髪式。異色のモンゴル出身力士・時天空、涙の引退秘話

webスポルティーバ 9/7(水) 14:20配信

 大相撲秋場所(9月場所)の新番付が発表されたその日、奇しくも引退会見に臨んだ時天空。その頭には、力士の象徴である“髷(まげ)”はなかった。

【写真】旭天鵬の断髪式に参加した元横綱・朝青龍

 小結まで務めた男の秋場所の番付は、三段目東87枚目。ここまで番付を下げてしまったのは、悪性リンパ腫(※)の治療のため、昨年の九州場所(11月場所)から5番所連続の休場を余儀なくされたからである。
※血液がんのひとつとされる。首や脇の下のリンパ節が腫れたり、体の一部にしこりができたりする症状が出て、体全体の臓器を次第に侵していく病気。

 時天空が右脇腹に異変を感じたのは昨年7月、名古屋場所(7月場所)の頃だった。当初は「あばら骨にヒビがある」と診断されたが、その治療を受けても一向に痛みは治まらなかった。そして、9月の秋場所後に再検査を受けてみると、思わぬ事実が見つかった。

 悪性リンパ腫――力士生命どころか、自らの命をも脅かすほどの病であることが判明したのだ。

「うそだろ? オレが悪性リンパ種なんて……。きっと、何かの間違いなんじゃないか?」

 診断直後、36歳の現役力士は自らが侵された病を受け入れることができなかった――。

 2002年名古屋場所で初土俵を踏んだ時天空。現在の大相撲界は、白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱を筆頭に、20数名のモンゴル人力士が活躍しているが、彼はそうした多くのモンゴル人力士とは異なる経緯で角界入りした。

 時天空は当初、モンゴル・ウランバートルの国立モンゴル農大で柔道に励んでいた。それが2000年、東京農大に転入すると、相撲部に入部したのだ。相撲部ではすぐに頭角を現して、日本国内の大会で活躍。以降、2000年の世界相撲選手権(ブラジル)や、2001年のワールドゲームズ(秋田県)などの国際大会にも参戦し、彼自身、相撲への自信を深めていった。

 ちょうどその頃、少年時代に同じ柔道道場で一緒に稽古に励んでいた朝青龍や朝赤龍らが、大相撲界で活躍していた。その姿を見て、時天空はさらに刺激を受けた。

「オレも力士になって、彼らと同じ土俵で戦いたい!」

 そんな思いを次第に強くしていった彼は、大学に在籍しながら、23歳になる直前に(入門規定は23歳以下)大相撲の門を叩いた。

 角界入り後も時天空は、その実力を遺憾なく発揮。名古屋場所でデビューしたあと、続く秋場所から序ノ口、序二段、三段目で無類の強さを見せ、22連勝という快挙を達成した。2004年春場所(3月場所)に十両昇進を決めると、ふた場所後の名古屋場所では当時史上最速となる所要12場所での新入幕を遂げ、一気に人気力士の仲間入りを果たした。

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最終更新:9/7(水) 14:20

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