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香山リカが「沖縄差別」を考えるため高江に向かった【前編】

週刊SPA! 9/7(水) 16:20配信

 沖縄の高江に行ってきた。

 高江では、米軍ヘリパッド建設が進められておりそれに対して住民が抗議活動を続けていて、ケガ人や逮捕者も出ている。

⇒【写真1】初日、レクを受けながら食べた1000円の定食

 こう聞いて、「あー、また沖縄でなんか騒いでるやつね」と思ったあなたは、それだけで「沖縄はほかと違うから」と沖縄を特別視していることになる。わかりやすく言えば、それは「沖縄への差別」ということだ。

 いきなり「あなたは沖縄を差別している!」と言われて気分を害した人には申し訳なく思うが、実は私も以前は心の中に「沖縄は別」という気持ちがなかったわけではない、と正直に言っておこう。だから、以下のことも前から自然にそう感じていたわけではなく、頭で考えて時間をかけて自分に言い聞かせものだ。

「あーまた沖縄か」とつい思ってしまったあなたと私に、そんなにかわりはない。

 私たちが忘れがちなこと。もちろん、沖縄には日本のほかの地域とは異なる歴史がある。明治政府による1879年(明治12)前後の「琉球処分」で「沖縄県」となるまで、沖縄は「琉球王国」という王制の国だった。その後、急速に植民地化された沖縄は太平洋戦争では日本で唯一の地上戦の場となり、県民の4人にひとりが犠牲になったといわれる。そして、終戦後はアメリカの統治下に置かれ、1972年にようやく日本復帰を遂げて再び「沖縄県」となった。

 とはいえ、言うまでもないが「沖縄県」は現在は「石川県」や「神奈川県」などと同じ日本の47都道府県のひとつだ。それなのに、なぜいまだに「まあ、沖縄は別だから」などと言われ続けなければならないのか。米軍基地への激しい抗議運動を横目で見ながら、なぜ私たちもつい「あーまた沖縄か」と見過ごしてしまうのか。それは、まぎれもなく沖縄が日本の「差別の構造」の中に置かれているからだろう。

 私は、その「差別の構造」を実際に見て、実感するために高江に行った。これまで米軍基地の問題など沖縄が直面する数々の社会問題にかかわってきたわけではない。ただ、沖縄を特別視する視線は私にもないとはいえず、ずっとモヤモヤしていた。それをなんとかしたくて、高江に出かけたのだ。仕事は何にも関係していない個人的な旅であり、唐突に思いついたので無理やり外来診療や産業医の勤務日を動かして実現した2泊3日の短い滞在だった。簡単にその記録を記しておこう。

◆1日目

 病院での診療を終えて羽田空港から那覇に向かう飛行機に乗った。

 高江は遠い。「沖縄県の面積は日本の0.6%」と言われるとなんとなく「沖縄本島内の中の移動なんて簡単」と錯覚しがちだが、そんなことはない。

 沖縄本島北部に位置する高江に行くためには、空路で那覇空港に着いて、まずそこからバスに1時間半ほど揺られて名護市まで行く。そこからさらにクルマで1時間半ほどかかるのだが、定期バスは1日3便だけなので名護でレンタカーを借りるか誰かに迎えに来てもらう必要がある。すでにここまでで那覇からたっぷり3時間以上。

 私はこの日は名護市内北部から橋でわたれる屋我地島まで移動、そこの民宿に荷を下ろし、食事しながら先に高江入りした東京の知人3人からレクを受けた。

 高江の米軍訓練場にはこれまでもすでに多くのヘリパッドがあったが、今回、問題になっているのは6つの新設工事。これに対する反対運動じたいは、以前から行われており、工事は実質的にはストップしていた。

 しかし、2015年2月に沖縄防衛局が2カ所のヘリパッドを建設して米軍に先行提供してから、オスプレイの飛行や訓練が急激に増加し、問題が一気に深刻化したこと。そしてこの7月には残りのヘリパッドの建設工事も突如、再開され、それに伴い反対運動に参加する人も増えたが、沖縄県警のみならず全国の警察官や機動隊が大量に動員され、力ずくの排除などが行われるようになっている……。

 千円の定食はお盆に乗りきらないほどの量(写真1)で、部屋はオーシャンビュー、高江で起きている抗議活動とそれへの警察、機動隊の過剰警備の話などを聞いてもいまひとつリアリティがない。夕食後、私だけビールを飲んだが、ほかの3人はほとんど飲まなかった。

◆2日目

 抗議の人たちは朝4時すぎから現地に集合して行動を開始するのだが、この日はこちらのクルマの都合などで9時にゆっくり出発。高江に着いたのは10時すぎ。

 ただ「高江に着いた」と言っても駅があって駅前に商店街があり、その奥は住宅地……という場所ではなく、うっそうと茂る木や草、パイナップル畑などのあいだに家や学校が点在していて、かろうじて「山の駅」と「共同売店」があり小中学校も見えるので「ここが高江か」と気づく感じ。

 そして、あたりまえの話だがヘリパッドの建設工事は米軍のフェンスの向こう、広大な北部訓練場の中で行われているわけだから、そこに市民がタッチすることはできない。しかも北部訓練場は「山原(やんばる)」と呼ばれる原生林をそのまま使用しているので、「あーあそこでヘリパッドを作ってる」などとフェンス越しに見えるわけでもない。

 だから、建設への抗議運動といっても、できる場所、できるところは本当に限られているのだ。

 具体的には、工事用の資材が運ばれたり作業員が出入りしたりする、いくつかのゲートの前やそこから離れた市民が拠点としているテントなどでの行動だ。ニュースや新聞で「おじぃ」「おばぁ」と呼ばれる地元住民が工事関係車両を阻止しようとして座り込んでいる映像が取り上げられることがあるが、それは主に「N1地区ゲート」と呼ばれるゲートの前だ。そして、そこからさらにクルマ一台が通るのがやっとの狭い旧林道を山の中に向かって進んだ先に、8月6日には安倍昭恵総理婦人も突如、訪れたという「N1裏テント」がある。これは抗議の住民たちが拠点として急ごしらえで建てたものだが、煮炊きができる設備もあり、山の斜面を利用した集会所(写真2)は、100人以上の人がラクに座れる広さ。

 ただ、私が訪れたときは抗議活動のリーダー・山城博治さんらはこのテントにはいなかった。「もっと上にいる」とテントにいた人から聞いてさらに細い道にクルマを進めると、別のゲートの前で20人ほどが何かの作業をしていて、山城さんらもそこにいた。「いま取り込み中で」ということでほとんど話はできなかったが、「N1裏テント」を強制撤去するという情報があるようで、もしもの場合に備えてこのあたりもテントを立てようとしているのだろうか。

 このように、高江の抗議ポイントは「国会前」などのように目印があるわけではなく、演習場を取り囲む形でいくつかのゲートやその間に分散している。しかも、その間は農道、旧林道などで隔てられており、徒歩での移動はほとんど不可能だ。また、もともと人が集ったりクルマを停めたりするための場所ではないので、まさに道なき道を進み、場所なき場所を切り拓く、という感じ。以前から休暇を取っては抗議活動に参加しているという男性は、こう語ってくれた。

「ここでできることといえば、朝、作業員たちや砂利を積んだトラックが建設現場に入るのを阻止することですが、もちろん、完全に阻止して追い返すことなどできないから、5分でも10分でも遅らせること。それでもチリも積もれば山となるで月単位で見ると全体の行程をかなりズラしていることになると思う。

 そうやって時間稼ぎをしているうちに、もっと全国のマスコミが注目してくれて、日本中の人が『たいへんなことが沖縄で起きている』と気づいてくれないか、と思ってます」

 この日はすでに砂利運搬のトラックは住民の抵抗むなしく建設現場に入ってしまった、ということで、私も午後2時ころには現場を離れることに。

 その後、宿泊している屋我地島にある元ハンセン病施設の国立療養所沖縄愛楽園に行き、資料館や施設内の遺構などを見学した。

 それはそれでかなり衝撃的な体験だったのだが、そのことはまた別の機会にじっくり書くことにしよう。

 そして、いっしょに行動している友人から「明日は朝3時半には出発します」と言われ、9時すぎには早々にベッドに入ったのだが、次の日に待ちかまえていた恐ろしいできごとを予感していたのか、私はなかなか寝つくことができなかったのである……。(続く)

文・写真提供/香山リカ

日刊SPA!

最終更新:9/8(木) 2:08

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