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東京五輪で銅メダル「円谷幸吉」のマル秘資料――相馬勝(ジャーナリスト)

デイリー新潮 9/9(金) 15:00配信

 五輪陸上競技の最後を飾る男子マラソン。その舞台で日本人として初めて表彰台に立ったのが、故・円谷幸吉だ。彼にまつわる「マル秘資料」をジャーナリストの相馬勝氏が入手。そこには、近年苦戦が続く日本マラソン界への、貴重なメッセージが遺されていた。

 ***

 ここにひとつの文書がある。

 1964年東京五輪男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉。その故郷、福島県須賀川市にある「円谷幸吉メモリアルホール」の展示ケース下の物入れにホコリをかぶって眠っていた「マラソン競技者調書」である。B5用紙11ページからなるそれは、筆者は円谷、宛先は日本陸連であり、肩に「マル秘」の印が押されている。円谷といえば、68年のメキシコ五輪直前、「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺書を残し、自ら命を絶った悲劇のランナーだが、これが書かれたのはその1年から2年前のことだ。

 7人いた円谷の兄弟姉妹は多くが世を去っている。存命の兄・喜久造(84)は、

「この文書を見たのは初めてです。存在すらまったく知りませんでした」

 と語り、また、往年の名ランナーで、円谷のライバルだったメキシコ五輪マラソン銀メダリスト・君原健二(75)も、

「初めて見ました。私には提出の依頼はありませんでしたし、他のランナーからも、調書を書いたという話は聞いたことがありません」

 と言う。

 リオデジャネイロオリンピック最終日の8月21日、男子マラソンの号砲が鳴らされた。日本からは佐々木悟、北島寿典、石川末廣の3選手が出場したが、結果は惨敗。2時間8分44秒で金メダルのケニアのエリウド・キプチョゲに対し、日本トップは佐々木の16位(2時間13分57秒)、石川は36位、北島は94位に終わった。

 かつては円谷、君原はじめ、瀬古利彦、宗茂・猛兄弟、中山竹通、谷口浩美、森下広一らキラ星のごとき世界的ランナーを生み出してきた日本の男子マラソンは14年間も日本記録が更新されておらず、世界との差は広がるばかりだ。世界陸上のメダルは2005年ヘルシンキ大会の尾方剛の銅メダル以来なく、国際大会での優勝も少なくなった。五輪に至っては1992年バルセロナ大会の森下の銀メダル以降、四半世紀も遠ざかっている。

 なぜ、日本のマラソンはかくも長い間、苦闘が続いているのか。

 先の調書はすでに表紙が真っ黒に変色し、ところどころ読みにくい箇所もある。しかし、そこに溢れた円谷の“精神”からは、マラソン黄金期へ向かう時期のトップ選手が何を考え、何と戦ってきたのか、そして、低迷期のいま、何が日本選手に欠けているのか、そのヒントが隠されているような気がするのである。

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最終更新:9/9(金) 15:00

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