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「日本旅券、嫌だった」蓮舫氏、朝日新聞で発言の過去 --- 八幡 和郎

アゴラ 9/10(土) 7:10配信

蓮舫さんが声明出すも昨日の夕刊フジをご覧になっていない様子

蓮舫さんがネットに二重国籍問題について所見を出されました。良いことだと思います。しかし、いろいろ突っ込みどころがあります。とくに、昨日発売の夕刊フジに『日本のパスポートになるのがいやで、寂しかった』(朝日新聞1992年6月25日夕刊)と蓮舫さんが気が進まないまま日本国籍を選んだことをかつて告白されていることが明らかになったのですが、それを知らないで書かれたような気がします。その声明全文は下記の通りです。

“※蓮舫氏の声明(Facebookより)
私は日本人です。 日本で生まれ、日本で育ち、日本の風土で育てられ、日本で結婚し双子を育ててきています。

そして、我が国のために働きたいと国会議員として仕事をしています。日本を良くするために、まだまだ努力をしようと強く思っています。

私は、生まれたときから日本人だという気持ちが強いのですが、法律的には、女子差別撤廃条約の締結を目前にして改正国籍法が施行(昭和60年1月1日)された直後の昭和60年1月21日、日本国籍を取得しました。17歳のときでした。

日本法の下で適正な手続きを行い、国籍の届出を行いました。私は、日本人です。
私が台湾法において、籍があるのかというご指摘がありました。

高校生の時、父親と台湾の駐日代表処に赴き、台湾籍放棄の手続きを行ったという記憶があります。私は、台湾籍を放棄して今日に至っているという認識です。

この点について、今般、確認を行いましたが、いかんせん30年前のことでもあり、今のところ、確認できていません。

今後も確認作業は行いたいと思いますが、念のため、台湾の駐日代表処に対し、台湾籍を放棄する書類を提出しました。

この間、大好きな父が否定されるかのような。また、最愛の娘と息子にまで言及する 書き込みに触れました。家族が本人に責任のない中傷誹謗にあうのは母として耐えられませんでした。

日本の法律では、私が日本国籍しか持っていないことは明らかになっていますが、台湾法での問題について、ご心配をおかけしたことをお詫びいたします。”

少し解説しましょう

“私は日本人です。 日本で生まれ、日本で育ち、日本の風土で育てられ、日本で結婚し双子を育ててきています。(中略)主観の問題ですか私は、生まれたときから日本人だという気持ちが強いのですが、ここは大変問題です。”

上記の朝日新聞のインタビューによると、この手続きの数年後の24歳のとき、以下のように仰っています。

“「父が台湾人、母が日本人、19歳のとき、兄弟の就職もあって日本に帰化したが。東京で生まれ育った身にとって暮らしに変化はなかったけど、『赤いパスポートになるのがいやで,寂しかった』(父や祖母を通して触れた台湾、アジアのアイデンティティは『日本』とは違うと感じる) 注;赤いパスポート=日本のパスポート”

このインタビューのほかにも、政治家になる以前の蓮舫さんが、日本人としてより強烈な華人、ないし台湾人としての意識をもっていることを表明されている記録を私もこの件が話題になってからいろんな方が提供して下さるので拝見しています。

“昭和60年1月21日、(法改正で)日本国籍を取得しました。17歳のときでした。 日本法の下で適正な手続きを行い、国籍の届出を行いました。私は、日本人です。私が台湾法において、籍があるのかというご指摘がありました。

高校生の時、父親と台湾の駐日代表処に赴き、台湾籍放棄の手続きを行ったという記憶があります。私は、台湾籍を放棄して今日に至っているという認識です。”

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最終更新:9/10(土) 7:10

アゴラ

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