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“つなぎの4番”サブロー引退 ロッテ愛に貫かれた激動の22年

週刊文春 9/11(日) 7:01配信

「愛してます」

 今シーズン限りでの引退を発表した千葉ロッテ・マリーンズのサブロー外野手(40)が、1日の引退会見でストレートにチームへの熱い思いを語った。昭和のプロ野球を知るオヤジ世代の方々には隔世の感があったかもしれない。かつてのロッテといえば、ドラフト1位指名された甲子園のスターが苦虫を噛み潰した顔を見せることも珍しくなかった。それが今や「マリーンズのファンは日本一」(サブロー)と言われるチームになったのだ。

 サブローこと大村三郎は、1995年にロッテ入団。その前年、イチローがオリックスで史上初のシーズン200本安打を達成したのにあやかって、登録名を“サブロー”とした。“つなぎの4番”と評された技巧的な打撃がウリで、通算打率は2割6分5厘、127本塁打を記録。

「出塁率が高く、数字以上に勝負所に強く、走塁も巧かった。繋いで繋いで、というマリーンズ野球の理想の4番像でした。チームの精神的支柱で、彼がいないロッテは想像がつきません」

 寂しそうにそう語るのは、球団広報の梶原紀章氏。

「クールで近寄りがたい雰囲気だけどチームメイトを良く見てて、ボソッと一言、声を掛けるんです。たとえば、リリーフの益田(直也)に『外野からお前の背中を見てると自信なさげだ。投手としてプラスじゃない。堂々と投げろ』。益田が後に『本当に自信を失ってた時期だったので、救われました』と語っていましたが、そんな選手がたくさんいます」(同前)

 サブローと言えば、2011年シーズン中に巨人へトレードされたものの、僅か半年後のオフにFAでロッテに帰ってきたことも印象深い。球界には「最後は巨人」という言葉が根強くあっただけに、これは“事件”だった。

「サブローが入団した年に今のユニホームに変わり、当時のバレンタイン監督が『これをヤンキースのユニホームのような誇り高いものにしよう』と言ったそうです。そのユニホームと共に18連敗、31年ぶりの優勝、3位からの下剋上優勝と激動の22年間を経験してきたサブローは、ロッテの歴史を背負ってきたんです」(同前)

 25日のオリックス戦が引退試合になるという。


<週刊文春2016年9月15日号『THIS WEEK スポーツ』より>

「週刊文春」編集部

最終更新:9/11(日) 7:06

週刊文春

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