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織田信長の資金調達法 家計は火の車でも上洛できる

Wedge 9/11(日) 12:20配信

 サラリーマン川柳でしばしば使われるキーワードは、「お金」。500年前の室町時代後期には連歌師・山崎宗鑑が「それにつけても金の欲しさよ」という名文句を考案し、それから200年たった江戸中期には8代将軍・徳川吉宗の経済ブレーンをつとめる荻生徂徠(おぎゅうそらい)が「当時(今)は金が無くてはどうにもならぬ」と記した。

 いやいや、お金に一喜一憂する人間の姿は何もこの3つの時代に限った話ではない。石や貝が貨幣の原型として誕生して以来、人類は常にお金に恋い焦がれ、それを求め続けたと言って良いのではないか。諸国の猛者・知将・たちが戦いを繰り広げた戦国時代も、その例外では無い。むしろ戦いの勝敗を決する最大のカギとなるお金を、彼らは命がけで求めた。

 室町時代の狂言「靭猿(うつぼざる)」は猿回しを題材にしたものだが、そこで唄われる祝詞(のりと)が「白金黄金(しろがねこがね)、御知行(ちぎょう)増るめでたきましよ」というもの。知行というのは領地の事で、現代同様、金銀と土地が増える事が人々の夢だった。戦国時代は室町末期に含まれるから、軍資金の確保に頭を痛める彼らもこの祝詞を事あるごとに唱えていたのではないだろうか。というわけで、連載の初回はその中でも特にダイナミックな経済政策で日本の歴史を変えた男、織田信長にスポットを当てよう。

 永禄11年(1568年)、信長は岐阜城を出陣し、京に攻め上った。大軍を率いて途中南近江(現在の滋賀県南部)の大名・六角承禎を粉砕し、京・大坂を押さえていた三好党を追い払って足利義昭を室町幕府15代将軍の座に就けた信長は、およそ50日ぶりに岐阜へ凱旋している。

堺、大津、草津に代官を置いた先見性

 ここでよく「信長の先見性」として挙げられるのが、堺・大津・草津の3カ所に代官を置いた事。堺はいわずとしれた海外貿易と国内交易の一大拠点、大津は北陸と京を結ぶ琵琶湖の舟運の湊、草津は東海道と東山道(現代の中山道を含む古代からの幹線道路)が交わる陸運の要衝だった。

 “商業に熱心な信長がこの3カ所にめざとく目を付け直轄化したのはすばらしい、さすがは天才だ”としばしば評されるところだが、いくら義昭が世間知らずの坊っちゃん育ちでも、彼とその側近が3カ所の商業拠点の価値に気づかないとも思えない。信長は彼らの消極的な抵抗を強引に押し切ったとも考えられる。

 というのは、信長はこのとき法隆寺から1000貫、石山本願寺からは5000貫をまきあげている。摂津国尼崎(現在の兵庫県尼崎市)にも課金し、拒否されて町を焼き討ちした。実に無理矢理、実に暴力的。

 そして堺にも「矢銭」(軍用金)という名目で2万貫を課した。堺がこの課金に応じるのは3カ月後の事だが、この集金額にはどれほどの価値があったのだろうか?

 1貫は銭1000文にあたる。この年の12月の奈良の米価が記録に残っているので見てみると、1石が500文。という事は、1貫は2石という計算になる。1石(1000合)は150キログラムだから、1貫あれば300キログラムの米を購入できる。つまり、信長が調達した計2万6000貫で、7800トンもの米を調達できたことになる。

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最終更新:9/11(日) 12:20

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