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【浦和】「無事に手術を終えてスタート」。病院で“闘っていた” 背番号7に贈る1勝

SOCCER DIGEST Web 9/11(日) 9:30配信

09年に右膝…。今度は左膝の前十字靭帯を損傷し、全治6か月と診断。梅崎司へ、旧知の3人がエール。

 [J1第2ステージ11節]
浦和レッズ2-0 サガン鳥栖
9月10日/埼玉スタジアム2002

 武藤雄樹が2-0にリードを広げるゴールを決めると、槙野智章と西川周作がベンチの前で背番号7のユニホームを掲げた。そして試合後、柏木陽介がホームスタンドに見えるように、背番号7のユニホームを着て、サポーターとともに勝利の凱歌を歌った。
 
 浦和の「7番」といえば、梅崎司。梅崎は8月31日、アウェーでのルヴァンカップ準々決勝・神戸戦の第1戦で、久々に先発出場の機会を掴んだ。しかし試合終了間際に相手ともつれ合う形になり倒れ込み、加賀健一と交代に。病院で検査を受けた結果は、左膝の前十字靭帯損傷--。9月8日に手術を受けて、全治約6か月と診断された。
 
 梅崎は2009年に右膝の前十字靭帯損傷により、長期の離脱を経験している。戦列復帰と離脱を何度も繰り返し、完全復活を遂げたのは、12年のペトロヴィッチ監督の就任によってだった。
 
 指揮官は開幕から梅崎を左ウイングバックのレギュラーで起用。チームに攻撃的な姿勢を植え付けると同時に、梅崎のプレーの幅も広げた。それから様々なポジションで起用されてきた背番号7は、昨季シャドーを主戦場にして、第1ステージ優勝に貢献した。
 
 奇しくも梅崎がステージ優勝を手繰り寄せる劇的なゴールを決めたノエビアスタジアム神戸で、今回、再び選手生命を左右しかねない重傷を負ってしまった。
 
 手術から2日後、旧知の友がそんな梅崎に贈ったエール。槙野と柏木は梅崎と同じ87年生まれの「調子乗り世代」で、10代からともに戦い07年のU-20ワールドカップに出場している。西川は大分出身の同学年であり、大分ではユース時代からのチームメイトだった。
 
 それぞれのサッカー人生を歩み、そして運命に導かれるように浦和で再び巡り合い、赤いユニホームを着て戦ってきた。
 
 リーグ戦を2連敗で食い止め、第2ステージの優勝争いを演じる鳥栖をホームで退けた1勝--。それは、“ウメちゃん”に捧げる1勝でもあった。ちなみにスタンドにも、たくさんの梅崎の応援フラッグが見られた。
 
 梅崎はハーフタイムにtwitterで次のようにつぶやいていた。
 

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最終更新:9/11(日) 12:08

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