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シーア派の聖地巡礼を経て、イスラムの教義に触れてみた

HARBOR BUSINESS Online 9/11(日) 9:10配信

 イスラム教関連でよく耳にする、「シーア派」と「スンニ派」の違いについて知る人は少ないのではないだろうか?

 イスラムの二大派閥と言われるスンニ派とシーア派の違いは一般的に、預言者ムハンマド亡き後、ムハンマドの(義理の)息子アリーを後継者として認めず、その代理人をイスラム共同体の中で選出したのがスンニ派、アリーを次期指導者とし、その子孫達の継承権を主張したのがシーア派であると区別されている。

 シーア派はではアリーとその子孫たちを預言者ムハンマドの代理指導者として「イマーム」と呼ぶ。二大派閥と言ってもその割合は8:1程度、シーア派は数的にはかなり少数派なのである。

 筆者はそうした少数派の人間、しかも出自も非常に特殊なイスラムの友人二人とともに、シーア派の聖地を巡礼した。この記事ではシーア(特に12イマーム派)が正統性を主張する論拠や特有の思想を挙げていく。

 スンニ派とシーア派の考える”聖地”には違いがある。イスラム教徒の聖地というとメッカ、預言者ムハンマドの墓があるマディーナ、そしてエルサレムである。シーア派ではそれに加え「イマーム」たちの墓を聖地としている。シーア派信者達はメッカ巡礼に加え、このイマーム達の墓所も巡ることを推奨している。私が今回、訪れたのは主に第8代目イマーム、レザ(Alī ibn Mūsā al-Rezā)とその家族の墓である。

◆イスラム法を学ぶ学生が世界中から集まるゴム市

 トランジットで降り立ったアゼルバイジャンの首都バクーでは、7代目イマームのムサ(Mūsá ibn Ja‘far al-Kāzim)の娘で8代目イマームのレザと兄弟であるウケイマ(Ukeyma Khanum)のアスタナを巡った。そこで出会ったイラクやアフガニスタンの巡礼者たちにそもそもイマームの家族の墓を巡礼することにどんな意義があるのかと聞いてみると、それは預言者の代理人であるイマームのことをより良く知るためである、と回答をいただいた。ムハンマドの正統な後継者であるイマームたちの考えや歴史的背景を知ることがシーア派信者にとっては重要なプロセスであるようだ。このような歴史知識、イスラムの教えや法学を専門的に学んだ知識人たちを尊敬を込めてモアリェム“Moallem”(アラビア語で先生)と呼ぶ。

 このモアリェムたちが学ぶシーア派の最高教育機関が、ゴム市(Qom)。二つ目に訪れた街である。

 ここには世界中の学生たちが集まりイスラム法などを学んでいく。筆者と同行したパキスタン人の知り合いも、ここで学んでいて、私達を出迎え案内してくれた。ゴム市で出会ったそのモアリェムの卵に、シーアがシーアたるその歴史を教授いただいた。

 「息子であるアリーに継承権があるか」が二大派閥にとってもっとも大きな争点となるが、これはガディル・フムによって説明される。ガディル・フム(Ghadir Khumm)とは預言者ムハンマドがメッカからマディーナへと戻る際に民衆へ向けて、息子アリーが次期後継者を明言した出来事を指す。預言者ムハンマドの生前の言行を記したサヒフ・ムスリム(Sahih Muslim)の2404番や5915-5196番には、「私(ムハンマド)とアリーの立場は、まさにアロンとモーゼの立場と同じである。」「私の後に預言者はいないが、モーゼにアロンがいたように、私にはアリーがいる。」という言葉が残されている。

 そしてコーランのモーゼとアロンの関係に関する記述の中でも第七章142番に「私に代わって人々を正しく統治していけ。」という言葉があり、これもまたアリーがムハンマドの正統な後継者であることを示している。

◆イスラムの救世主思想マフディ

 イスファハーンでは著名な観光地を巡った後、現地の友人に連れられ町の外れにある12代目イマームの友人の墓を訪れた。きっとこんなところに来た観光客はこれが最初で最後だろう。12番目のイマーム・マフディはシーアは思想の中でも重要な部分で、最後の審判が下される日にキリストとともに現世に甦るという。イスラム教の基礎的な知識がない読者からすると突然のキリストとの関連に困惑するであろうが、イスラム教はユダヤ教、キリスト教の教えを継承していて、その預言者の中にはアブラハム、ノア、モーゼ、イエス・キリスト、そしてムハンマドが含まれる。マフディはいわばイスラムの中の救世主思想である。

◆5万人の信徒にまじって礼拝を捧げる

 その後レザの兄弟の墓があるシラーズのシャー・チェラーグ廟やヤズドを巡り、この旅の最終目標であるマシュハドへと辿り着いた。イラン観光の際に候補に挙がる街ではないのだが、街の中心には8代目イマーム、レザの墓のもとに造られたイマーム広場があり、60万平方メートルにもなる巨大な敷地に大小さまざまな広場とモスクが集まっている。礼拝の時間になると目測5万人程度の人間が中央広場に集合し同時に祈りをささげるのだが……ここで警備員に呼び止められ観光客は礼拝時間以降入場禁止との旨を伝えられた。「私はムスリムではないが、イスラムのことを学び共に巡礼の旅をしてる」と友人達が伝えると意外にもすんなりと入場が許された。

 その日、筆者はおそらくただ一人の外国人として何万人ものムスリムに囲まれながら礼拝したのである。イスラム世界ではメッカ巡礼を終えたものは尊敬の意を込めて「ハッジ」と呼ばれるが、マシュハド巡礼をしたものは「メシャヂー」と呼ばれる。筆者も今やシーア世界で「メシャヂー・ジュン」と尊称を戴く身になった。友人曰く、大抵こういう場ではカルバラーの戦いやガディル・フムなどシーア派イスラム史の重要な出来事が語られるそうだ。

◆ISとはもともと無縁のシーア派世界

 カルバラーの戦いとは預言者ムハンマドの孫でアリーの息子であるフセインが、反目していたカリフ制ウマイヤ朝との同盟を拒否し一族諸共虐殺された事件である。シーア派にとってもっとも悲劇的な出来事で、カルバラー(現在のイラク)はもっとも大切な聖地のひとつとなっている。預言者ムハンマドの親族を殺害するというのは大罪であるはずだが、この件に関しておおよそのスンニ派がどのような見解をもっているのか筆者はまだ知ることが出来ていない。

 しかしながらこのようにイスラム教は現在に至るまで複雑な経緯を経て各々の宗派へと分化したわけである。今日、たびたび話題に上がるISISであるがイランなどシーア派世界での影響は振るわない。それはヒズボラの庇護下にあること、そして他国を征服して改宗を迫った正統カリフ時代を肯定しないシーア世界だからこそ、イランの現在の安定した治安は保たれているのかもしれない。もちろん筆者の見た思想も数ある宗派の一端に過ぎず、彼らの考えを紹介しきれるはずもないが、シーアの考えが皆さんの異文化への理解の一助となれば幸いである。

 最後に、同行したイスラムの友人たちを紹介しておく。

 モハメド・カシム-ハン:かつてパキスタンの北部、フンザという地域を治めた王族の末裔。元はマケドニアのアレクサンドロス王が出征した際にアジア地域に移り住んだブルシャスキというヨーロッパ系少数民族(本当は彼の出自だけでもう一本記事が書ける)。

アゼルバイジャンの宮殿を観光した際に「わー、うちみたい」と言っていた。

 ミル-ユシフ・ガヂロフ:預言者ムハンマドの血筋を継ぐ者が冠することを許された「ミル」を名に持っている、アゼルバイジャン出身のロシア移民。10月にはイラクの聖地カルバラへと巡礼するつもりらしい。アリーの子孫であることを誇りに日々イスラムを学んでいる。

<取材・文/なかはた じゅん(TwitterID:@cider1d1l>

北京在住の大学生。日中朝英の4言語を操り、現在はロシア語の勉強中。中国にいる北朝鮮留学生や旧ソ連圏の人々と日々交流しながら、北朝鮮情勢の一端を考察している。

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最終更新:9/11(日) 14:48

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