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多くの人に愛された建物の記憶 『東京會舘とわたし』(上・下) (辻村深月 著)

本の話WEB 9/12(月) 12:00配信

 昨年の1月31日に、建て替えのため惜しまれながら休業した「東京會舘」。結婚披露宴や政財界のパーティーが開かれ、芥川賞・直木賞の記者会見と授賞式が行われてきたのもこの場所だ。本作は、創業100年近いこの建物を舞台にした、著者初の歴史小説だ。

「結婚式を東京會舘で挙げたんです。当時はまだ直木賞にノミネートされたこともなかったのですが、式の後に『直木賞の時に戻ってきます』と言ったら、プランナーやスタッフの方々は笑ったりせずに、『お帰りをお待ちしています』と言ってくれました。その後、思っていたより早く直木賞を受賞でき、式を挙げた同じ建物に戻ってくることができました。建て替えになると知って、今度は私が戻ってくる東京會舘に『お帰りなさい』と言いたい、と思ったんです」

 東京會舘は創業1年後に関東大震災に見舞われ、戦中戦後は大政翼賛会、GHQに相次いで接収された。昨年閉館した建物は2代目。創業当時の「旧館」と、昭和46年に建て替えられた「新館」の物語が上下巻で構成される。各章ごとに、バーテンダーやボーイといった會舘の伝統を支えたスタッフたち、戦時中に挙式した花嫁や、ディナーショーの舞台に立つ女性歌手、直木賞を受賞した作家といった、各時代にこの場に縁のあった人々の物語が描かれ、歴史の重なりが見えてくる。

「『會舘へ来られないお客さんにもうちの味を知ってもらいたい』と、お土産用クッキーを作るよう菓子職人を説得した事業部長の話は、社史の中の1行から膨らませました。どんな人だったのかわからないまま当時の事業部長の実名で小説を書いていたら、読んでくれていた會舘のお客さんが『私、田中さんのこと大好きだったのよ』と、その事業部長のことを教えてくれたことも。現場からの叩き上げで副社長にまでなった方で、お客さんへの気遣いが素晴らしかったそうです。

 執筆中は、取材や資料を通して、會舘側の思いがお客さんへしっかりと伝わっていることが見えてきて、まるで謎解きをしているようでした。皆さんから託していただいたエピソードを、一つひとつ大事に繋いでいきました」

 取材の時期は「新館」の最後の1年に重なった。多いときは週に2、3度、東京會舘に足を運んだという。

「変わってゆくものを惜しみがちですが、取材を通して、旧館から新館に変わる時も同じように変化はあったのだし、新しい場所に新たな思い入れを持つ人もいる、と感じました。ここからまた新しい東京會舘の歴史ができていく、と感じてもらえたら嬉しいです」

辻村深月(つじむらみづき)

1980年山梨県生まれ。2004年『冷たい校舎の時は止まる』でデビュー。11年『ツナグ』で吉川英治文学新人賞、12年『鍵のない夢を見る』で直木賞を受賞。

聞き手:「オール讀物」編集部

最終更新:9/12(月) 12:00

本の話WEB