ここから本文です

たったひとりで自分の家を建てた31歳女性、その破天荒な人生

女性自身 9/12(月) 6:00配信

 海の幸と山の幸に恵まれた佐賀県唐津市。中心街から車で30分ほど上った高台の山間部にある、わずか20戸ほどの農業を中心にした集落に、本山早穂さん(38)の30平米「1LK」の家はある。山本さんは、この家を設計から施行までひとりで行った。

「屋根には、季節ごとに何かの花を植えています。家の断熱効果もあるんですよ」(本山さん・以下同)

 本山さんは、1978年8月、福岡生まれ。19歳のときフリーターになり、接客業、飲食業、子供写真館のスタッフなど、さまざまな仕事に就いた。

「もちろん正社員に比べたらお給料や保障は少ない。でも、自由を選んだんです」

 お金がたまると、ボランティアや旅に出るという生活。最初の旅は、21歳のときのインド1カ月間だった。もともと子供好きだったこともあり、マザー・テレサの孤児院などを訪ねた。その後は、オーストラリアでのワーキングホリデー。国内でも、群馬のこんにゃく農家に1カ月住み込みで働くなど、さまざまな体験をした。

「知り合った人たちが、本当にいろんな経験を積んでいて、『いろんな生き方があるんだよ』と教えられました。ますます、たくさんの場所を体験したいと思うようになって」

 小笠原諸島のユースホステルでヘルパー4カ月間。北海道標津町ではサケの解体・加工工場で働き、沖縄のサトウキビ農家や愛媛のみかん農家でも住み込みで働いた。だが、20代も終わりに近づくころ、ひとつの結論に至ったという。

「どこに行っても、自分自身なんだということです。どんなきれいな景色のなかにいても、行く前に想像したような素敵な場所はどこにもなくて、環境が変わっても自分が一緒ならどこも同じなのだと。孤独や人間関係の悩みや不安は常にある。だったら、どこで何をしても、自分の帰って落ちつく場所をつくりたい。そんな思いが、今の生活につながったんだと思うんです」

 20代に放浪ともいえる旅を重ね、7年前、ひとりでこの地に移り住んだ。まずは“本宅”と称するこの家を建て、現在は隣に2階建ての“母屋”を自ら建設中だ。

 本宅はベッドと本棚、テレビに占有された寝室の広さは6畳足らず。ウッドデッキに面して解放感のある長細いリビングルーム、狭いながらも明るく使いやすそうなキッチン、そしてコンポスト・トイレ(木質材によって排せつ物を堆肥化する方式)を設置した個室は、のちに増築したという。ウッドデッキをはさんで立つ6畳ほどの浴室は屋根がなく、露天風呂のよう。

「上下水道は通っていないので、井戸を掘って、井戸水を使っていますが、真夏には、屋根に設置したタンクで熱々の湯になるんですよ」

 建設中の母屋に足を踏み入れると、木のいい匂いが。こちらは広さ120平米。そこかしこにプロ用の電動工具が置かれている。

「ここで、子供たちに生きる知恵を教える自然農法のレストランと農家民宿を開くのが、夢なんです。設計も自分でしました」

 基本的にはひとりでつくるが、コンクリートの基礎工事や棟上げは地元の皆が手伝ってくれた。外観はほとんど整い、天井、土壁、床張り、トイレができれば完成だ。

 7月27日、本山さんは母屋を建設中に出会った土橋清さん(38)と入籍。現在、妊娠中の本山さんのおなかには双子の赤ちゃんがいる。

「私はずっと結婚したかったし、子供も欲しかったんです。そして結婚するなら、こんな家づくりを一緒にできる人がよかった。レストランや民宿も、2人ならわくわくしながら動かしていけそうです」

最終更新:9/12(月) 6:00

女性自身

記事提供社からのご案内(外部サイト)

女性自身

光文社

2717号・2月23日発売
毎週火曜日発売

定価400円(税込)

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。