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【松本】暗黒の谷底から這い上がった田中隼磨。「これからも人生を賭けて戦いたい」

SOCCER DIGEST Web 9/12(月) 17:00配信

「病名を聞いた当初は、前向きになれないこともあった」。

 この男の辞書に「限界」という文字はあるのだろうか。
 
 松本の背番号3・田中隼磨。今年6月に右眼裂孔原性網膜剥離で急遽チームを離脱し、以降は入院生活を余儀なくされていた。好調のチームにとってはまさに青天の霹靂だったが、本人からすればそれどころの話ではない。サッカー選手としてのキャリアを続けられるかどうかさえ、不透明な状態だったのだから。
 
 入院中はうつ伏せでアイマスクをしたまま、基本的に動くことはできない。四肢は健康だし、闘志も衰えていない。それなのに――。
 
「病名を聞いた当初は、前向きになれないこともあった」。
 
 文字通り、暗闇の谷底にいた。
 
 だが、そんな深淵から田中は見事に這い上がった。原動力となったのは、「アルウィンのピッチに立ちたい」という想い。横浜市内の病院を退院し、7月からは松本での療養を開始。8月1日からはフィジカルトレーニングに復帰した。
 
 そして同19日の検査で、医師から「完治」とお墨付きをもらった。「ホッとしたし、これからまたサッカーができると言われた時は、本当に嬉しかった」と、田中は当時を振り返る。
 
 そこから先はトントン拍子だった。実戦から2か月以上離れているため、フィジカルコンディションを戻すために、まずは厳しい別メニューを消化していく。同24日には接触プレーのない練習に参加し、9月7日にはフルメニューをこなすようになる。
 
「恐怖心という考え自体が、まったくない。一時期はどうなるかと思ったところからここまで来られたし、サッカーができる喜びを噛み締めている」。
 
 そう語る田中の口ぶりは覇気にあふれていた。
 
 迎えた同11日の31節・京都戦。本来のチームマネジメントなら、最低1回の練習試合を経験させてから復帰するのが通例だが、コンディション不良の選手が続出した影響から、ぶっつけ本番でスタメンに名を連ねた。
 
 復帰の舞台は、田中がそのピッチに立つことを切に願っていたアルウィンだ。背番号3は先制点の起点となるFKを得たほか、精力的にサイドを上下動。京都がパワープレーに切り替えてくれば、的確なコーチングで周囲を動かして対応するなど、以前と変わらぬ姿で存在感を示した。

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最終更新:9/12(月) 18:03

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