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前回寄稿へのリアクションから、私が今感じること - 岩本沙弓 現場主義の経済学

ニューズウィーク日本版 9/12(月) 11:50配信

<障がい児童の新米お母さん・お父さんに宛てた筆者のメッセージには、様々な立場からリアクションがあった。その中にはもちろん異論もあったが、そもそも障がいは「良い・悪い」で判断できるものではないのではないか>

 前回の寄稿は多くの方が読んで下さったとのこと、この場を借りて御礼申し上げます。今回からは普段通り、経済問題をと考えていたのですが、反響が大きかったこともあるのでやはり追記をしたいと思いました。

【参考記事】障がいがある子の新米お母さんたちへ、今伝えたいこと(前編)
【参考記事】障がいがある子の新米お母さんたちへ、今伝えたいこと(後編)

 最も意外だったのは、寄稿しましてからの皆さんのリアクションでした。平素からこちらのコラムを筆頭に、ということになりますが、国民経済全体を思えばこそ、そして国家のグランドデザインはどうあるべきかを考えた場合に、どうしても現在の政権与党の経済運営に苦言を呈さずにはいられないというのがワタクシのスタンスです。別に安倍さんや与党中枢部を個人的・感情的に批判する意図がまったくないのは賢明な読者の皆さんであればご承知のこと。実は今回の寄稿直後からツイッターやフェイスブックで寄稿文に共感して手放しで拡散され、スレッドに心温まる書き込みを積極的にされたのはむしろ政権与党の支持者や近しい方々でした。普段の経済に特化した内容でも是々非々で評価して下さっているのは言うまでもありません。

 また、寄稿を受けての取材もありましたが、オファーしてきたのは保守系の媒体で、これまで何かとアクセスの多かったリベラル系からはまったく音沙汰なしというのも面白い現象だなと思った次第です。ワタクシとしましては常に政治信条などを超えて是々非々ありきなのですが、野党支持者のナイーブさやどなたが本当のリベラルな感覚を持ち合わせておられるのかが計らずも透けて見えるようでした。

 耳障りなことを言う奴でも「これとそれとは話は別」とレイヤー分けができるか否か。余談ではありますが、野党共闘が上手くいかないのは是々非々で物事を考えられる冷徹なまでのリアリストが政治家にも、その支持者にも決定的に不足しているためでしょう(あらかじめ申し上げておきますが、野党批判かとわざわざ反応をして下さらなくても結構です)。かく言う私は対立軸となりうる賢明かつ強力な野党の出現を心から望んでいますし、それが国民にとっても与党にとっても有益と考えています。

 個別のリアクションとして。詳細は割愛いたしますが、かつて新米だったお母さん・お父さんからは大変前向きな感想をいただきました。混乱されている中で直接アクセスされるのは本当に勇気のいることだったと思いますが、今回の寄稿文を届けたかった新米お母さんからの「救われました」とのメッセージには、逆に私が救われる思いがしました。



 当然、後ろ向きな感想も少ないながらも頂戴しました。長年、重い知的障がいを抱えたお子さんを50年近く、成人後もご苦労されながら家族で面倒を見られ、自宅のそばで不慮の事故でなくなった際に「亡くなって良かったんだ」と親御さんがおっしゃったとのこと。礼節をわきまえて書かれていましたのでこちらが不快に思うことはありませんが、誰もが支え合う社会にと言ってもキレイごとでは済まされないとの主旨と思います。

 障がいが重ければ身の回りの危険を察知するのも大変難しくなります。はたから見ればご家族は大変なご苦労をされていたと映ったかもしれませんし、近所の方に実際ご迷惑をかけていたのかもしれません。それでも、「亡くなって良かったんだ」との発言はご家族の本心ではないと思います。逆説的になりますが、手厚いご家族のケアの中で生活をされていたからこそ50年の生涯を全うされたのだと思いますし、子どもを愛おしむ気持ちがないまま、義務感や惰性でそれだけの長期間、身内だけで面倒を見ることはできなかったはずです。むしろ、表向きに「亡くなって良かったんだ」と言わなければならなかったご家族の心情は察して余りあるものがあります。家族が追い詰められていたことはなかったのか。地域の公的ケアを利用することが出来なかったのか。皆で支え合う社会にというのはそうしたことも踏まえてのことです。

 障がいがないに越したことはありません。自分の娘に障がいがなかったらと思うことは私にもいくらだってあります。しかし、だからと言って障がいが「悪い」ことかと言えば、つまるところ、良い・悪いで判断するようなものではなく、所与の事実としてそこに歴然と存在するものであり、それ以上でもそれ以下でもないと言うことに尽きます。

 誤解を承知の上で。障がいと自然災害は似ているところがあります。地震、火山の噴火、台風、落雷等々、一個人としてはどれもできれば遭いたくないものですが、この地球が活動している以上、我々生物がそれを完全に避けて通ることはできません。災害があることを前提に備え、一度遭遇すれば被害を最小限に、復旧復興のために民・官問わず手を差し伸べます。自然災害はないに越したことはありませんが、良い・悪いの判断を超えて、誰もがそこにあるもの、不可抗力として受け止めているはずです。

 多くの障がいもまた、人類が脈々と命のバトンを次世代へと繋ぐ中ではどうしても誰かが引き受けなければならないものです。あなたや私が何不自由なく生活できているのは、人類が背負うべき不可抗力を誰かが代わりに背負ってくれているから。不可抗力はあなたにも私にもふりかかり得る。そんな風には考えられないでしょうか。そうすれば、たまたまそうした重荷を引き受けてくれた誰かへ手を差し伸べることは無駄なことでも、経済効率の悪いことでもなく、そういった範疇をすべて超えて社会として引き受けるのが当然、皆で支え合いながら価値を創造していく社会にと思えるのではないでしょうか。

岩本沙弓

最終更新:9/12(月) 12:09

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