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ジョージアで起きた「アブハジア紛争」で続く不条理 - 大場正明 映画の境界線

ニューズウィーク日本版 9/12(月) 17:05配信

<ソ連邦崩壊後、ジョージア(グルジア)で起きた「アブハジア紛争」は、94年に停戦合意したが、緊張はいまも続く。戦争の不条理さとともに、戦火の中でも人間として生きようとする人々の姿を描く>

アブハジア紛争は、94年に停戦合意したが、緊張はいまも続いている

 1991年にソ連邦が崩壊し、その一共和国だったジョージア(グルジア)は独立するが、ペレストロイカ以後に国内で表面化してきた民族対立が紛争に発展する。ジョージアに属する自治共和国だったアブハジアには、宗教、言語など独自のアイデンティティを持つアブハズ人が居住していた。アブハジアの統合を主張するジョージアの民族主義者に反発してきた彼らは、1992年に独立を宣言し、それを端緒に両者の間で激しい戦闘が繰り広げられ、国が荒廃することになった。

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 このアブハジア紛争は、1994年に停戦合意が成立しているが、緊張はいまも続いている。アブハジアには多民族が混在していた。紛争勃発時にアブハズ人が占める割合は17%で、多数派だった20万人以上のジョージア人が郷里を追われ、いまも国内避難民として生きることを余儀なくされている。ヨーロッパにおけるマイノリティ問題を扱うオンラインジャーナル"JEMIE"に昨年発表された記事では、国内避難民となったジョージア人へのインタビューを通して、その記憶が掘り下げられている。彼らの言葉からは故郷に対する強いノスタルジーが浮かび上がってくる。

 ザザ・ウルシャゼ監督の『みかんの丘』(13)とギオルギ・オヴァシュヴィリ監督の『とうもろこしの島』(14)は、どちらもアブハジア紛争を題材にしている。ふたりの監督はジョージア出身だが、ジョージア側から紛争をとらえるような作品にはなっていない。

 『みかんの丘』の舞台は、アブハジアのなかでエストニア人が昔から暮らす集落だ。紛争が勃発し、多くのエストニア人が祖国に帰ったが、みかんを栽培するふたりの老人イヴォとマルガスだけが残っている。ある日、近くで戦闘があり、彼らは負傷したふたりの兵士をイヴォの家に運び、そこで介抱する。

 その兵士たちは、アブハジアを支援するチェチェン人のアハメドとジョージア人のニカだ。同じ屋根の下に敵兵がいることを知った彼らは殺意をむき出しにする。だが、イヴォが家のなかで殺し合いを許さないという毅然とした態度を示すと、兵士たちは命の恩人に敬意を払い、手を出さないと約束する。そして、兵士たちの関係が次第に変化していく。

 この映画でまず注目したいのは、アブハジアという土地をめぐる兵士たちの会話だ。チェチェン人のアハメドは、「おまえのような悪魔から小さい国を守る」ためにそこで戦っている。一方、アブハジアが自分の国だと信じるジョージア人のニカは、「歴史が分かるか?学校がなかったのか。読書はしたか。俺の国から出て行け」と応戦する。

 ニカは歴史について具体的なことはなにも語らないが、その「歴史」という言葉には、深い意味が込められているように思える。先述した"JEMIE"の記事には、それを理解するためのヒントがある。この国内避難民へのインタビューでは、20人の一般人と9人の歴史家が取り上げられている。



歴史に呪縛された人々が土地をめぐって争う世界

 その歴史家たちは、歴史と紛争の結びつきについてこのような証言をしている。歴史家たちが紛争の火付け役として重要な役割を果たした。双方の急進的な学者たちが、相手を敵視する歴史書を出版していた。最初に歴史の編纂をめぐる戦争が起こり、それに政治的な紛争が続いた。

 それを踏まえるなら、この映画は、歴史に呪縛されたニカが、他者との触れ合いのなかで解放されていく物語と見ることもできる。その解放を象徴しているのが音楽だ。ニカは、歴史を強調する一方で、戦闘の際にテープが飛び出してしまったカセットをなんとか元通りにしようとする。そこに収められた音楽は、ニカ個人にとって歴史よりも大切なものを象徴し、それが最終的にアハメドに引き継がれることになる。

 さらにこの映画では、4人の主人公に加えて、アブハズ人やロシア人の兵士など、多民族が登場するところも見逃せない。アブハジアは、アブハズ人、ジョージア人、ロシア人、アルメニア人、ギリシャ人など多民族で構成されていた。"JEMIE"の記事を読むと、そこには緊張もあったが、首都スフミや他の諸都市では、多民族構成の伝統が根づいていたことがわかる。スフミに暮らしていた女性は、隣人のロシア人、ギリシャ人、ユダヤ人、ウクライナ人、アルメニア人とひとつの家族のように暮らしていたと語っている。また、紛争時にアブハズ人とジョージア人が助け合い、生き延びたというエピソードも少なくない。この映画は、そんな多民族構成の世界の縮図になっているともいえる。

ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督『とうもろこしの島』

 一方、『とうもろこしの島』では、紛争によってふたつの勢力が対峙する境界を流れるエングリ川が舞台になる。この川は春の雪解けとともにコーカサスから肥沃な土を運び、中州を作る。地元の農民は、その中洲で春から秋にかけてとうもろこしを育てている。そして今年も、両岸で敵同士がにらみ合い、銃弾が飛び交うなか、アブハズ人の老人が中州に渡り、小屋を建て、孫娘とふたりでとうもろこしを育てていく。そんなある日、彼らは畑で傷を負ったジョージア兵を発見する。

 『みかんの丘』とこの映画には共通点がある。みかんやとうもろこしを育てる老人たちは、自然と向き合い、民族の違いとは無縁に生きている。『みかんの丘』のイヴォは、部屋に飾られた写真から、孫娘がエストニアに帰ったことがわかるが、彼女の両親については語ろうとしない。『とうもろこしの島』でも、孫娘の両親は不在だ。そんな設定は、紛争に両親の世代が巻き込まれ、老人と子供が残されることを暗黙のうちに物語っている。

 しかし、映像表現のスタイルはまったく違う。『とうもろこしの島』では、台詞が最小限にとどめられ、映像を通して、農民の日々の営み、季節の移り変わり、少女の成長などと紛争が対置されていく。そして、そんな構成を見事に際立たせているのが、中州でとうもろこしを育てる風習だ。監督のインタビューによれば、かつてエングリ川にはこの風習があったが、いまでは上流にダムが作られ、水量が管理され流れが弱くなったという。

 しかし、この映画では、かつての風習ではなく、ずっと繰り返されていく営みとしてこの風習が描かれる。中州は常にそこにあるものではない。大きな嵐がくれば押し流され、また春に新たに出現する。中州を作るのも、押し流すのも自然が決めることだ。そこには繰り返しがあるだけで、歴史はない。歴史に呪縛された人々が土地をめぐって争う世界のなかで、歴史の力が及ばないそんな中州は聖域のようにも見えてくる。

《参照/引用文献》
"Remembering Homeland in Exile: Recollections of IDPs from the Abkhazia Region of Georgia"by Toria, Malkhaz (Journal on Ethnopolitics and Minority Issues in Europe : JEMIE, Vol. 14, No.1)

映画『みかんの丘』『とうもろこしの島』予告編


○『みかんの丘』
監督:ザザ・ウルシャゼ
公開:9月17日、岩波ホールほか全国順次公開

○『とうもろこしの島』
監督:ギオルギ・オヴァシュヴィリ
公開:9月17日、岩波ホールほか全国順次公開

公式サイト: http://www.mikan-toumorokoshi.info

大場正明

最終更新:9/13(火) 10:59

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