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涙!夏目漱石『吾輩は猫である』のモデルになった猫が死ぬ。【日めくり漱石/9月13日】

サライ.jp 9/14(水) 11:52配信

夏目漱石、愛猫の死を見届け墓標を立てる。【日めくり漱石/9月13日】

今から108 年前、すなわち明治41年(1908)9月13日、夏目漱石はひとつの生命の終焉と向き合っていた。夏目家に飼われていた猫が死亡したのである。『吾輩は猫である』のモデルとされる猫だった。

思えば、この猫が夏目邸に迷い込んだのは、4年前の夏の初め。猫嫌いの妻の鏡子は、すぐに外につまみ出した。ところが、何度つまみ出してもいつの間にか戻ってきて、飯櫃の上にちゃっかり座り込んでいたりする。ある日とうとう漱石がこの猫の存在に気づき、

「そんなに入ってくるんなら置いてやればいいじゃないか」

とお墨付きを与えた。

さらに猫に幸いしたのは、鏡子のもとに出入りしていた按摩の婆さんの一言だった。婆さんは、全身黒ずんだ中に虎斑のあるその毛並みをつくづくと眺め、「これは珍しい福猫ですよ」と呟いた。この時から鏡子の猫に対する態度が一変した。「福猫」ならもっと大事にしなければ、というわけだった。

そんなわけで、最後まで名前はつけてもらえなかったものの、新聞を読んでいる漱石の背中に乗ったり、子供たちの蒲団にもぐりこんだりしながら、可愛がられて暮らし、天寿を全うした。

その名前にしても、改めて振り返れば、迷い込んだ頃からずっと夏目家の人たちは「ネコ」と呼び続けており、それがそのまま名前のように馴染んでしまったということであったのかもしれない。

猫の遺骸は、木箱に入れて北側の裏庭に埋められた。

「何か書いてやってください」

鏡子にそう求められ、漱石は白木の角材に「猫の墓」と書き裏面に一句をしたためた。

《此(こ)の下に稲妻起る宵あらん》

暗闇にも光る猫の目を稲妻にたとえたのか、あるいは小説中の「吾輩」の如く、地下に眠った猫が人間社会に向かって雷鳴のような警句を発することもあろうとの意をこめたのか。いずれにしろ、これが猫の墓標となった。

以降、祥月命日がくると、鏡子はこの墓標の前に、鮭の切身一片と鰹節一椀を供えたという。

翌14日、漱石は門弟や友人たちに向けて、次のような文面の葉書を書いた。

《辱知猫義久々病気のところ療養相叶わず昨夜いつの間にか裏の物置のヘッツイの上にて逝去致候。埋葬の義は車屋をたのみ箱詰にて裏の庭先にて執行仕候。但主人「三四郎」執筆中につき御会葬には及び申さず候。以上》

葉書の周囲には墨で黒枠をつけた。数え42歳(満41歳)、男の厄年を迎えている漱石先生の哀悼の思いが、そこに塗り込められていた。

■今日の漱石「心の言葉」
墓標の左右に硝子の罎(びん)を二つ活けて、萩の花をたくさん挿した(『永日小品』より)

文/矢島裕紀彦

※夏目漱石ありし日々の面白エピソードを毎日紹介!連載「日めくり漱石」は「サライ.jp」で毎日更新中。

最終更新:9/14(水) 11:52

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