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山崎賢人が見せた、陰影に富んだ身体の魅力ーー『好きな人がいること』をどんな結末に導く?

リアルサウンド 9/14(水) 6:10配信

 いま、若手俳優の中でもっとも勢いのある人物のひとりに、山崎賢人がいる。とくに少女マンガを原作とした映画・ドラマでの起用が目立ち、10~20代の女性を中心に支持されていることが伺える。今後は、さらに幅広い作品で彼の活躍を見ることができるようになるだろう。

 映画界が空前の“マンガ実写化”ブームを迎える中、テレビドラマにも“胸キュン・アクション”的なラブコメ作品は多い。視聴率の低迷が続くフジテレビ月9枠で現在放送中されている、山崎賢人出演ドラマ『好きな人がいること』も、そうした作品のひとつとして位置づけることができる。しかしながら、映画においては一種のイベントとして機能している“胸キュン”的要素も、テレビドラマではいまひとつハマっていないようにも感じる。テレビは、映画に比べてより人々の日常に近いメディアであり、幅広い層が視聴するため、求められるものも大きく異なるのか。ファンタジーとしてのラブコメより、オフィスで働くサラリーマンやOLの物語の方が視聴率を伸ばしていることからも、それが伺える。

 とはいえ、『好きな人がいること』が視聴者を限定する種類の作品かといえば、そんなことはないと思う。“真夏の海”(しかも湘南!)と、そこで“共同生活する男女”という設定は、まさに月9の王道を行くものであり、多くのひとにとって魅力的に映る普遍的なもののはずだ。とくに、山崎賢人演じる柴崎夏向は、誰しもを惹きつけるものがある。

 第一話目の冒頭部分から、すでに特筆すべきシーンがあった。パティシエとして住み込みのアルバイトをするために湘南にやってきた櫻井美咲(桐谷美鈴)が浜辺をプラプラしていると、奥の方からいかにもサーファーといった感じの山崎賢人が歩いてくるという、出逢いの瞬間である。おたがいに歩調を合わせるようにゆっくりと近づく“運命の二人”に、さんさんと降り注ぐ陽光の美しさーー映像を観ることの醍醐味が詰まったようなシーンだ。そして、太陽光を直に浴びた山崎賢人の身体が、思わぬ変化を見せるのである。

 イタリア映画界を代表する監督であるマルコ・ベロッキオが、レモン・ラディゲの原作小説の舞台をフランスからイタリアに置き換えて撮った『肉体の悪魔』(86年)という作品がある。過去にも数回、映画化されてきた作品だったが、マルコ監督は主人公であるマルーシュカ・デートメルスの身体を“イタリアの陽光”の下で捉えることによって、恐ろしいほどの美貌へと変えた。まさに“肉体の悪魔”を体現したような彼の魅力は、ヒロインの倫理を揺さぶるのに充分な説得力があったといえよう。山崎賢人の身体もまた、真夏の湘南の陽光に晒されることで、どこか危険な、しかし抗いがたい魅力を放っていた。ただ爽やかな美男子というだけではない、濃厚な陰影がそこに顕れたのだ。

 山崎賢人がこれまで演じてきた役の多くは、“過去に何かを背負った男”だった。たとえば、同じく桐谷美鈴と共演を果たした『ヒロイン失格』(15年)で、山崎賢人が演じた寺坂利太というキャラクターもそうだ。山崎はその時、その澄んだ視線をあらゆる方向へ彷徨させることで、どこか不安定でありながらも純粋な青年を演じきり、彼らの恋に必然性を与えるとともに、物語を思わぬ展開へと導いていった。重要なのは、山崎がその二面性を帯びたフィジカルな存在感によって、ドラマを成立させたという事実である。

 『好きな人がいること』の第6話の終局では、実は三兄弟のうちで山崎賢人演じる次男・柴崎夏向だけがほんとうの兄弟ではなかったという事実が明らかとなり、エンディング映像からも山崎の姿が消えてしまったりと、ドラマが不意にシリアスな雰囲気を帯びはじめた。第一回冒頭で感じた、美しさの中にあった陰影がいよいよカタチとなり、物語に影響してきたのだ。黒目がちな山崎の瞳は、絶えずなにか秘密を孕んでいるようで、その深淵をのぞき込みたい衝動を起こさせる。同時に、その澄み切った瞳の奥から対象へと注がれる視線は、見るものを寄る辺ない気持ちにもさせる。彼の視線が語る“過去の記憶”は、この夏の物語をどんな結末へと導くのだろうか。

 山崎の身体性に宿る物語的要素は、それだけで注目するに価するものであり、毎週の視聴にも耐えうるものだ。むしろ、ワンシーズンを見続けるからこそ発見できることもあるはずである。山崎が最終回に向けて、その身体の魅力をどのように発揮していくのか、注目してほしい。きっと、役者としてのすごみを体感できるはずだ。

加賀谷健

最終更新:9/14(水) 6:10

リアルサウンド

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