ここから本文です

“マッチョマン”サベージがWWE退団――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第179回

週刊SPA! 9/14(水) 9:10配信

 1994年の最後の“事件”は“マッチョマン”ランディ・サベージの退団―WCWへの電撃移籍だった。

 マッチョマンがWWEと専属契約を交わしたのは1985年6月。DIVAというコンセプトがまだ存在しなかった時代の元祖DIVA、エリザベスとの古典的な“美女と野獣”のコンビで“1984体制”のWWEで一時代を築いた。

 “レッスルマニア4”ではWWE世界ヘビー級王座決定トーナメント決勝戦で“ミリオンダラー・マン”テッド・デビアスを下し、空位となっていた同王座を獲得した(1988年3月27日=ニュージャージー州アトランティックシティー、トランプ・プラザ)。

 ハルク・ホーガンとタッグチーム、ザ・メガ・パワーズを結成して夏のスーパーイベント“サマースラム”第1回大会でデビアス&アンドレ・ザ・ジャイアントと対戦(1988年8月29日=ニューヨーク州ニューヨーク、マディソン・スクウェア・ガーデン)。

 その後、ホーガンと仲間割れを演じヒール転向を果たし、翌年の“レッスルマニア5”(1989年4月2日=トランプ・プラザ)ではホーガンと対戦。公私にわたり生涯のライバルとなるホーガンに敗れWWE世界王座から転落した。

 1991年8月には“殿堂”マディソン・スクウェア・ガーデンのリング上でエリザベスと結婚式を挙げ、翌年の“レッスルマニア8”でリック・フレアーを破り、再びWWE世界王座をその手中に収めた(1992年4月5日=インディアナ州インディアナポリス、フージャー・ドーム)。

 WWE世界王座はマッチョマン―フレアー―ブレット・ハート―ヨコヅナ―ホーガン―ヨコヅナ―ブレットと小刻みな移動をくり返したが、チャンピオンベルトをめぐる闘いからフェードアウトしたマッチョマンは、引退宣言をしないまま1993年1月に新番組“マンデーナイト・ロウ”のカラー・コメンテーターに転向。実況のビンス・マクマホン、解説のマッチョマンのコンビが“月曜夜の声”として定着した。

 マッチョマンのTVショー(PPV)での最後の“出演シーン”は、1994年の“サマースラム”のオープニングだった(1994年8月29日=イリノイ州シカゴ、ユナイテッド・センター)。

 第1試合開始まえにリングコスチュームのようでもあり正装にもみえるゴールドのタキシード姿でリングに登場したマッチョマンは、ビンスとジェリー“ザ・キング”ローラーの新コンビを“最強の実況&解説チーム”として紹介した。

 マッチョマンがスピーチらしいスピーチをせずにリングを降りたためライブの観客もPPV視聴者もそれがひじょうに重要な意味を持ったワンシーンであったことに気がつかなかったが、マッチョマンはマッチョマンなりのやり方でWWEのファンに無言の別れのメッセージを送ったのだった。

 WWEとマッチョマンの契約は1994年9月で満了となったが、両サイドはネゴシエーションのテーブルにつかなかった。マッチョマンは契約更改を希望せず、WWEも契約の延長にそれほど積極的ではなかったとされるが、真相ははっきりしない。ビンスは9月第1週放映分の“マンデーナイト・ロウ”番組内でマッチョマンの退団についてかんたんにふれたが、それはどこか事務的なトーンのアナウンスだった。

 ボブ・バックランドをワンポイント・リリーフに起用してブレット・ハートの腰からチャンピオンベルトをひっぺがし、さらにそのバックランドを秒殺してWWE世界王座を手に入れたディーゼル(ケビン・ナッシュ)を“ニュー・ジェネレーション路線”の主役に抜てきしたビンスにとって、キャリアも実績もネームバリューもある42歳のマッチョマンはいつのまにか“取り扱い注意”の在庫アイテムになっていた。

 マッチョマンはマッチョマンで自分よりもひと世代若いブレット、ディーゼル、ショーン・マイケルズ、レーザー・ラモン(スコット・ホール)らと本気でメインイベンターの座を争おうとはしなかった。

 マッチョマンをライバル団体WCWにひっぱったのはほかでもないホーガンだった。“テレビ王”テッド・ターナー王国からは第2、第3の引き抜きの魔の手が伸びていた――。(つづく)

※この連載は月~金で毎日更新されます

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。

日刊SPA!

最終更新:9/14(水) 9:10

週刊SPA!

記事提供社からのご案内(外部サイト)

週刊SPA!

扶桑社

2016年12月13日号
12月06日発売

¥390

・[転売で儲ける](秘)メソッド
・[ゲス不倫ブーム]知られざる波紋
・[痛すぎる発言]ランキング
・冬のボーナス[有名企業50社]対決

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。