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21世紀の政治潮流を作った男・加藤紘一逝く

週刊文春 9/15(木) 12:01配信

 加藤紘一元自民党幹事長が9月9日、77歳で死去した。21世紀の政治潮流を生み出す「産婆役」を、皮肉な形でつとめることになった政治家だった。

「おれは宏池会の国対族だから」

 1990年代初頭、加藤氏は名門派閥・宏池会(現岸田派)で無役のころ、よくこう自称した。宮沢喜一元首相ら東大ストレート合格、旧大蔵官僚出身者が綺羅星のごとく並ぶ宏池会で、加藤氏は一浪、大学生活も5年で外務省入省だった。一般人からみればエリートでも、宏池会においては劣等感を感じていた。「お公家集団」と呼ばれた宏池会の中で、国会対策や政局対応を「得意」としたのは、こうした事情があった。

 大平内閣の官房副長官として頭角を現し、田中派の小沢一郎氏と交友を深めるなど順調にキャリアを築いたが、リクルート問題に名前があがって躓(つまず)いた。政治資金には苦労し、これが後に脱税容疑で逮捕された佐藤三郎元秘書を重用し、事務所の主導権を握られる結果を招いた。

 内政では財政再建、外交では「日米中正三角形論」を唱えるなど、保守リベラルの代表格。だが、幹事長になり、「いつかは首相になる男」と誰もが見るようになった90年代後半から、加藤氏には傲慢さが目立ち始めた。

「加藤の乱」直前には「おれが総理になるのは分かっている。問題はいつ総理になり、何をやるかだ」と内輪では漏らすほどになっていた。そして加藤の乱で「私は幹事長の野中(広務)さんより修羅場をくぐっている」とのセリフを吐いたが、経世会で権力闘争を経験してきた野中氏に、ワルを装う加藤氏がかなうはずはなかった。加藤氏に近かった幹事長経験者はこう述懐する。

「加藤さんは2つ間違えた。あのタイミングで決起したこと。そして、最後に腰砕けになったこと。あのまま突っ込んでいれば、一度は敗れても、改革派として再起のチャンスがあった」

 加藤氏の改革路線は、YKKトリオで末っ子とみられた小泉純一郎氏がそっくり受け継ぎ、首相として自民党を変えた。加藤氏の“墜落”は、自民党リベラルの敗北でもあった。保守本流の小渕派、加藤派に劣後していた「清和会」が全盛を迎える。「加藤の乱」がなければ、小泉政権はなく、安倍晋三氏が戦後最年少で総理に就任することもなかった。「決断」の重さを知らしめた政治人生だった。


<週刊文春2016年9月22日号『THIS WEEK 政治』より>

「週刊文春」編集部

最終更新:9/15(木) 12:06

週刊文春

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