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広島の通勤電車に「カープ坊や」が現れたワケ

東洋経済オンライン 9月15日(木)6時0分配信

 普段何気なく利用している通勤電車の「普通」「快速」といった表示に、その日の朝“カープ坊や”が現れた。カープが25年ぶりに優勝した9月10日の翌朝、広島での出来事である。昨年から導入された新型車両“RedWing”全車両で約1週間表示される。

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 優勝したチームの地元での、バーゲンセールやグッズの販売、数々の記念イベントの開催は、販売促進や売り上げアップのためによくあることだ。しかし、目先の売り上げとは関係のない、日常利用している通勤電車まで優勝チームをお祝いするというのは、広島ならではの凄いことではないだろうか。

 それはカープがどれだけ地域に親しまれているかの証しであり、また鉄道も地域に親しまれるものにならなければならない、というメッセージなのである。“地域に親しまれる”とはどういうことかを、野球、鉄道、デザインをキーワードに考えてみたい。

■通勤電車もお祝いするカープ優勝

 今回優勝の記念ロゴには、カープ坊やが涙を流して喜んでいる姿が描かれている。カープの歴史は涙なしでは語れない。カープは戦後間もない1950年に広島復興への夢と期待を背負って創設された。その時点でプロ野球はすでに15年の歴史があったが、1リーグから2リーグへと分裂する激動の時でもあった。

 球団数が一気に倍に膨れ上がり、選手の取り合いも激しく、資金力のないカープは初っぱなから苦しんだ。市民の“樽募金”や監督選手による試合後の後援会への挨拶回りなど涙ぐましい努力により、球団存続が危ぶまれた時をしのいだ。

カープ=「赤」というブランド

 成績の方は万年Bクラスで創設から1974年までの25年間でAクラスは3位が一度だけであった。しかも1972年からは3年連続最下位であった。翌1975年、チームに変革が必要ということで外国人監督ルーツを採用、そして彼は「燃える色」としてヘルメットを赤にした。するとチームは初優勝。「赤ヘル旋風」という言葉とともに、カープの創設26年目の初優勝は人々に記憶された。

 面白いのは、26年目の初優勝のインパクトも、赤ヘル初年のインパクトもあまりに強く、しかもそれらが同時に突如現れたことである。前年までは赤ヘルも強いカープも誰一人知らなかったのに、一瞬にして全国民の知るところとなった。カープは“赤”という強力なブランドを手にしたのである。

 その後1991年までの16年間は黄金時代で優勝5回、Bクラスは2回しかなかった。しかし今回の優勝までの25年はまた辛い時期であった。FA制度や逆指名制度など、資金力ある球団が有力選手を集める傾向が加速していたからだ。

 そんな中、カープは地道に自ら選んだ選手を育てるという姿勢を貫いた。育った選手がFAで出て行っても歯を食いしばって、ポリシーを変えなかった。その姿勢は球界の良心である。プロ野球が厳しい目で見られる昨今、なお尊敬される存在にいられるならば、それはカープのお陰である。

 今回の優勝で、カープの姿勢が間違っていなかったことが証明された。一度は涙ながらに去った黒田が、新井が、お金のためではなく、「カープ愛」ゆえに戻ってきて、優勝したのである。

■市民が歴史を語り継ぐ球団

 こうしたカープの歴史を語り継ぐ人々がいる。講演会や紙芝居などにより若い世代へ、郷土の誇るべき財産であるカープを伝承している。それらは「カープ昔話」として書籍や漫画として販売もされている。それはカープだけではなく日本の歴史そのものかもしれない。涙なしでは読めない感動的なものである。

 このようにカープが地域から親しまれ愛されているのは幾つかの理由が考えられる。自ら選んだ選手を自ら育てるという球団の姿勢や、カープと言えば赤、という強力なブランド、そして歴史を語り継ぐ市民の活動などである。

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最終更新:9月15日(木)6時0分

東洋経済オンライン

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