ここから本文です

<変化なき人生?>「マイルドヤンキー」と「意識高い系」の共通点

メディアゴン 9/16(金) 7:40配信

茂木健一郎[脳科学者]

***

先日、ふと、いわゆる「マイルドヤンキー」の方々と「意識高い系」の方々には通じるところがあるな、と感じたので、そのことについて書いてみたいと思う。

「マイルドヤンキー」の方々は、地方都市ならば地方都市にいて、そこで仲間たちを大切にまったりと暮らしていらっしゃる。ファッションにも一定の傾向があって、グローバル化とか、英語とか、そういうこととは比較的遠いイメージがある。

一方、「意識高い系」の方々は、常に向上心があって、グローバル化とか、英語とか、そういうことにこそ興味がある、というイメージがある。つまりは「マイルドヤンキー」とは対極のように見える、というのが、普通の考え方だろう。

しかし、先日ふと思ったのは、「意識高い系」の方々は、グローバル化や英語、向上心という物語を「コンフォートゾーン(快適な領域)」として、そこに安住しているという意味では、「マイルドヤンキー」の方々とそんなに変わらない、ということである。そう考えると、いろいろ腑に落ちた。

以前から思っていたのだけれども、学生さんで、これから英語を大いにやって、外資系の企業につとめて国際的に活躍するぞ! みたいな典型的な「意識高い系」の方はもちろん、実際にそのような活躍をされている方々にも、妙な「これでいいのだ」を感じることがあるのである。

国際的意識高い系の用語として、「純ジャパ」「半ジャパ」「ノンジャパ」というものがある。この分類で言えば、「マイルドヤンキー」は「純ジャパ」なのだろうけれども、「半ジャパ」や「ノンジャパ」にも、同じようなコンフォートゾーン安住の気配を感じる。

つまり、こういうことだと思う。

意味があるのは変化のみである。人生は旅なのであって、英語ペラペラでも、その状態に安住していたら、変化がない。それは、「マイルドヤンキー」の「まったり」と、何も変わるところがない。「意識高い系」も、同じように「まったり」しているのだ。

変化しているか、それとも安住しているか、という視点から見ると、「マイルドヤンキー」と「意識高い系」には共通点があるのだと思う。変化を志向する人はいつもざわざわして、ごつごつして、そのざわざわ、ごつごつにこそ、自分のアイデンティティをすり減らし、育てていくダイナミクスの本質がある。

茂木健一郎[脳科学者]

最終更新:9/16(金) 7:40

メディアゴン

Yahoo!ニュースからのお知らせ

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。