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ランボルギーニ ミウラ故郷へ帰る──生誕50周年を祝う500kmの旅

GQ JAPAN 9/16(金) 22:11配信

ランボルギーニ ミウラの生誕50周年を記念し、去る6月、イタリア本社で記念ツアーイベントが開催された。日本からは3台をイタリアに持ち込み、その1台のナビゲーターとして西川淳が参加。半世紀の歴史に思いを馳せて3日間、500kmを走った。

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今からちょうど50年前のこと。現代のスーパースポーツカーの元祖というべき、1台のモデルが、興ったばかり、つまりはほとんど無名のメーカーから発表され、大センセーションを巻き起こした。

そのクルマは、大排気量のマルチシリンダーエンジンをキャビンの背後に積む(ミッドシップ)、2シーターの流麗なスポーツカーで、それ以前にそんな市販ロードカーが量産されたことなどなかったから、新たなジャンル=スーパーカーの誕生だったと言っていい。

スーパーカーブームを知る世代で、その名を知らない人など、いないだろう。クルマの名を、ランボルギーニ ミウラという。

今や世界で最も成功した独立系レーシングカー製造者であるダラーラ社の創始者であり天才レースカーエンジニアのジャン・パオロ・ダラーラと、後にカウンタックやストラトスといった歴史的なカーデザインを生み出す奇才カースタイリスト、マルチェロ・ガンディーニ(当時ベルトーネ)による合作で、その名を“ミウラ”と呼んだのは、ランボルギーニ社の創始者フエルッチョ・ランボルギーニの長年の親友であり、自分の生まれ月の星座である牛をエンブレムにするというアイデアを間接的に彼にもたらしてもくれたスペインの闘牛ブリーダー、ドン・ミウラに敬意を表してのことだった。

近年のヴィンテージカーブームの波にのって、その経済的価値は今なお高騰を続けており、最も人気のある最後期モデルのP400SVで2.5億円以上、初期型のP400でも1億円以上と、現代においてもなお、夢のスーパーカーのままである。

そんなミウラの生誕50周年を記念して、今年は世界中で様々なイベントが開催されている。なかでも最も注目されていたのが、ランボルギーニの本社によって今年の6月に開催された、ミウラ50°アニベルサリオ・イタリアツアーだ。

サンタガタ本社が世界から選んだ20台のうち、日本からもなんと3台がクルマをイタリアに持ち込んで参加した。そのうちの1台、東京の富田栄造氏が駆るヴェルデ・ミウラ(黄緑)のP400SVに、筆者もナビゲーターとして参加する僥倖に恵まれたというわけだ。

ツアーは3日間、500kmを走るというスケジュール。初日の前夜には、ランボルギーニ社の新CEOであるステファノ・ドメニカリ以下ボードメンバーが全員顔を揃えて参加者とともにミウラの50歳を祝うパーティが開催された。

第1日目。ボローニャの中心部にあるミンゲッティ広場から、色とりどりのミウラが爆音を響かせて出発する。さすがに、本社主催のイベントだけあって、P400、P400S、P400SVというシリーズ全て(総生産台数およそ750台)のミウラが揃っただけでなく、J(イオタ)クローンやミウライオタSVJ、さらにはフランクシナトラの元愛車など、有名かつ貴重な個体も散見された。

ポリツィア(イタリア国家警察)のガヤルドと白バイ(正確には青バイだが)に先導されて、20台が途切れなく一団となってボローニャ市内を駆けぬけた。ランボルギーニには比較的親しんでいるはずの地元の人たちも、20台ものミウラが連なっているシーンなど、さすがに見たことも聞いたこともないはず。街行く人たちが、ほとんど全員、唖然としている様子が、轟音に充ちた車内からも手に取るように分かる。

市内から半時間ほど走れば、そこはサンタガタ・ボロニェーゼという小さな小さな田舎町で、そこに半世紀前からランボルギーニの本社と工場はある。

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最終更新:9/16(金) 22:11

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