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「9条が日本の平和を守っている」。盟友、山崎拓が弔辞で明かした加藤紘一との日々

HARBOR BUSINESS Online 9月16日(金)16時20分配信

 加藤紘一が死んだ。

 宮沢内閣崩壊による自民党の野党転落、その後の自社さ連立政権による与党復帰、そして森内閣の誕生。。。自民党の最も多難な時期を支え続けた「保守本流のプリンス」の葬儀だけあって、一五日正午から執り行われた東京・南青山の青山葬儀所での加藤家・自民党の合同葬には、多数の自民党幹部が参列した。

⇒【画像】「加藤紘一さん告別式」で弔辞を述べる山崎拓・元自民党副総裁

 列席者の顔ぶれは、さながら「自民党の歴史」そのもの。安倍晋三を始めとする現職幹部はもとより、小泉純一郎や福田康夫などの総理経験者、そして青木幹雄や野中広務など、「あの頃の自民党の生き証人」たちが勢ぞろいしている。

 安倍総理に続き、弔詞を読み上げたのは、山崎拓。90年代中盤から2000年代冒頭の自民党政治は、山崎・加藤・小泉による盟友関係「YKK」抜きに語れない。

 「YKK」の始動は、91年。彼ら3人は、当時専横の極みに達していた経世会(竹下派)に反旗をひるがえす存在として注目を浴びた。その後小泉純一郎が総理に就任するまでの約10年間、彼らの動きは自民党内外の政局に影響を与え続ける事となる。今から思えば、「保革左右が党内で対立しあい、その対立がダイナミズムを生む」という自民党らしい政治運営の最後の姿が、「YKK時代」だったのかもしれない。

 あの頃の自民党に比べれば、「党内を一色に染め上げてこそ政党」と言わんばかりの今の自民党の姿は、幼稚園のお遊戯会のようですらある。

 山崎拓が読み上げた弔辞は、彼と加藤紘一の友情関係を振り返りつつ、そんな「古きよき自民党の姿」を浮き彫りにするものだった。

 その弔詞全文の書き起こしを、以下にあげる。

◆盟友・山崎拓が読み上げた弔辞(書き起こし)

”終生の友・加藤紘一君の御霊前に額ずき、心からなる追悼の辞を申し上げます。

 去る9月10日夕刻、君の訃報に接し、正直、覚悟はしていたものの「ついにその日がきたか」と深い悲しみに襲われました。一昨年6月、ミャンマーの旅から帰国後病床にあると聞いて、幾たびかお見舞いに行こうと試みましたが、面会謝絶とのことで果たせず、焦燥の思いでした。

 とりわけ僕はこの2年ほど前から、講談社からの勧めで『YKK秘録』の出版を思い立っておりましたので、その記述の内容について、主役である君の了解を得る必要があり、その機会がなかなか得られず困惑しておりました。結局、もう一人の主役である小泉純一郎君をはじめ、拙著の登場人物のどなたにも了解を得る礼を欠いたままの出版となってしまいました。この機会に改めてお許しを乞います。

 僕はこの本の中で、僭越ながら「YKK時代」を勝手に使用しましたが、「YKK」というネーミング自体が君の発案であり、今の政界には見られない躍動感のある「YKK時代」というものがあったとすれば、それは、全て君が書いた脚本を、君自身が演出したものであります。僕など脇役の一人としてひたすら追随しただけであります。若手政治家約90名を結集させた「グループ・新世紀」の結成や、小選挙区制度導入反対など、YKKの連帯による政治行動は、時の政治にダイナミズムを与え、いやが上にも国民の政治に関する興味と関心を惹起させたことは間違いありません。まさに君の政治的レガシーの一つであると思います。

 君と僕は1972年12月10日投票の第33回総選挙で初当選した36名の仲間とともに同期の桜です。君とは年齢も近いこともあってすぐに仲良くなりました。君は東大法学部卒業後、外交官試験に合格した、類稀なる秀才です。一方の僕は、早稲田大学で柔道三昧の学生生活を送った文字通りの体育会系出身でした。我々二人の結びつきは材質の異なった合板のように、かえって強靭な友情が生まれたのかもしれません。

 僕が3歳年長でしたが、僕は君に兄事しました。君は常に僕より先行しました。内閣官房副長官、防衛庁長官、自民党政調会長、自民党幹事長、全て先輩として手ほどきしてくれました。

 僕が中曽根内閣の官房副長官を拝命した時です。君は僕に対して、「総理大臣随行の外遊の際には、主要国首脳会議後の同行記者団に対するブリーフィングの役割は、決して、外務官僚に任せてはいけない。党人派の副長官はえてしてめんどくさがって、自分でやろうとしないが、君は自分でやらないといけない。少しやばいと思うかもしれないが、大事なことが国民に伝わらない恐れがあるし、君の政治家としての訓練にならないよ」と、アドバイスされました。僕は君のように語学が達者でないので、自信がありませんでしたが、当時まだ48歳なのに、補聴器まで買ってその役割を全うできるように務めましたよ。

 君の語学力は抜群で、英語力のみならず、中国で北京大学の学生に一時間に渡り北京語で講演したと聞きました。その事実も含めて、君が日中友好増進に努めた功績は誠に大きいと確信しております。

 2年前、君がミャンマーに旅立つ直前に、赤坂で天ぷらそばを食べましたね。その時僕はずっと君に懐疑的に思っていたことを思い切って聞きました。それは「君は本当に、憲法9条改正に反対か?」という問いでした。君は「うん」と答えました。「一言一句もか?」とまた聞きました。「そうだよ。9条が日本の平和を守っているんだよ」と、断言しました。振り返ってみると、これは君の僕に対する遺言でした。まさに、日本の政界最強最高のリベラルがこの世を去ったという思いです。

 最後に、所謂「加藤の乱」については、あれは一度も止めなかった僕が悪かった。すまん。というほかはありません。

 少し長くなりましたが、しかし、少しも言い尽くせていません。我が国に健全保守勢力を築く君の後進が育つことを祈りつつ、かつ、君の愛娘加藤鮎子代議士が大成されることを期待して、お別れの言葉といたします。

 親愛なるコウちゃん。いずれ近い将来、君のいるところに行くことになります。また酒を酌み交わし、君が得意な歌を存分に聞かせてください。

 さようなら

平成28年9月15日 山崎拓”

 「日本の政界最強最高のリベラル」

 加藤紘一を弔うのに、これほど最適な言葉もないだろう。「憲法9条を一言一句たりとも変えない」と遺言のように言い残すなど、まさに、加藤紘一らしいではないか。そしてそんな政治家こそが「保守本流のプリンス」「いずれは総理総裁」と期待されたのが、かつての自由民主党であった。

 ひょっとして山崎拓が読み上げたあの弔辞は、加藤紘一にだけでなく、自民党に捧げられたものかもしれない。

<取材・文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)>

※菅野完氏の連載、「草の根保守の蠢動」が待望の書籍化。連載時原稿に加筆し、『日本会議の研究』として扶桑社新書より発売中

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最終更新:9月16日(金)16時20分

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