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「シン・ゴジラ」の防衛大臣はプロ失格である

東洋経済オンライン 9月16日(金)6時0分配信

『国のために死ねるか』(文春新書)は自衛隊の特殊部隊創設に携わった伊藤祐靖氏の波乱万丈な半生記であると同時に、戦闘論、防衛論、国家論でもある。伊藤氏は人気の映画『シン・ゴジラ』をどのように見たのだろうか。 

 庵野秀明総監督の映画『シン・ゴジラ』が、大ヒットを記録している。同監督がゴジラという謎の巨大生物を持ち出すことで描きたかったのは、日本の政府が意思を決定していくプロセスだったのだろう。映画の中では、総理大臣や大臣、官僚、補佐官が、未曾有の危機を解決すべく奮闘していた。

 『シン・ゴジラ』は、映画ファンや監督の庵野ファンのみならず、軍事評論家から元防衛大臣までが関心を寄せ、すでに大量の批評や考察がなされている。自衛隊の働きに関する論評も多い。

 私は元自衛官だが、戦闘艦艇から人間が乗る船舶を照準して砲弾を撃ったことはあっても、戦車から砲を撃ったこともないし、撃たせることについて考えたこともない。戦闘攻撃機に至っては、駐機しているものにさえ乗ったことがない。だから、触ったこともないものをどう使うべきだとか、無責任に語る気もその資格もない。

■違和感を禁じ得ない場面があった

 しかし、特殊部隊の作戦指揮や特殊戦の作戦立案に携わっていた者として、違和感を禁じ得ない場面もいくつかあったし、大いにありうると思いながらも、決してあってはいけないと感じたこともあった。

 今から、その決してあってはいけないと感じたことについて書く。なお、まだ映画を観ていない方にとっては「ネタバレ」になってしまうため、映画を観た後に次ページ以降を読んでいただきたい。

攻撃の中断はやむを得なかった

 総理大臣(演:大杉漣)は、発動を躊躇していたが、とうとう自衛隊を出動させた。警察の誘導により付近の住民は避難を完了したとの報告を受け、陸上自衛隊の対戦車ヘリに発砲を許可する。しかし、発砲寸前に2名の民間人を発見したため、攻撃を中断した。その後、再攻撃を命じることはなかった。

 結果的には、2名の保護を優先したことで、その後比較にならないほどの犠牲者を発生させてしまう。しかし、避難完了という報告の信憑性がなくなり、他にも民間人が多数残っている可能性が出てきたことと、その後、巨大生物が進化し、強力化していくことなんて予想できるはずもないので、攻撃の中断はやむを得なかったと思う。

■防衛大臣の許しがたい言動

 決してあってはいけないと感じたのは、攻撃を実行すべきだったとか、中断すべきだったということではなく、総理大臣が攻撃の中断を決断したときの防衛大臣(演:余貴美子)がとった行動である。

 あの時の防衛大臣の発言で「(対戦車ヘリからの攻撃を)始めますよ!」はありえないし、民間人を発見したときの「撃ちますか?」も許しがたい。

 有事、非常時、緊急時は、とにかくその場で決断しなければならないことが多い。それを組織として実施していても、指揮官は、あたかも自分一人で決断しているかのような孤立感の中にいる。だから、指揮官である総理大臣にかける言葉には、その孤立感から少しでも解放されるように細心の注意を払うべきだ。

 それは、特別な立場や強い権限を持っているからといって、特段精神的にタフというわけでもなければ、そのためのトレーニングを続けてきたわけでもないからである。ただの普通の人なのだ。いくら選ばれし総理大臣とはいえ、あまりにも厳しい環境下だったり、激しいストレス下に長く置いておくと、人として機能しなくなってしまう。

 だから、防衛大臣の「始めますよ!」も、語尾も上げて言い放つように言うのではなく、「始めます」と語尾を下げて、説くように言うべきだし、「撃ちますか?」などと判断を迫るような言い方ではなく、自分なりに判断をして「撃ちます」か「中断します」と言い、総理大臣がイエスかノーで答えられるようにするべきなのだ。

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最終更新:9月16日(金)18時35分

東洋経済オンライン

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