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53歳、短距離界のパイオニア。永尾嘉章が挑んだ7度目のパラリンピック

webスポルティーバ 9/18(日) 21:20配信

「今回がメダルに一番近いと思っていました。(予選全体の)リザルトもちょっと落ちていたので、チャンスだっただけに本当に残念です」

 永尾嘉章(よしふみ/兵庫県加東健康福祉事務所)が挑んだ、車いすT54クラスの男子100m。予選は14秒76で第1組の2着。見事に着順で突破した。だが、決勝ではレース序盤からトップに一気に引き離れてしまう。14秒71と予選よりタイムは上げたものの、一番後方でゴール。結果は8位入賞。日本人唯一のファイナリストは、「悔しさしか残らなかった」と無念さをにじませた。

 このT54クラスは、車いすの中でもっとも障がいが軽いクラスだ。世界的にも選手層が厚い。とくに100mなど短距離レースでは、身体能力が高い欧米の選手が強いとされてきた。しかし、近年ではタイや中国の選手も力をつけてきており、アジア人も存在感を見せている。そんななかで永尾は長年、日本代表としてこの激戦区を主戦場としてきた。

 長年、と言ってもここ2~3大会の話ではない。永尾が最初に出場したパラリンピックは、1988年のソウル大会だ。それから2008年の北京大会まで6大会連続で出場。今回のリオは、実に7大会目となる。

 日本選手団の主将を務めた04年のアテネ大会は、男子4×400mリレーで銅メダルを獲得したが、個人ではまだない。パラリンピックにおける個人種目でのメダル獲得は、自身にとっても、日本短距離界にとっても悲願だった。

 永尾の陸上競技のキャリアは軽く30年を超える。現在、53歳。決勝レースでは、永尾を除く7選手の平均年齢は30.1歳で、永尾が断トツの最年長だが、「スタートラインに立てば、全員がライバルだから」と意に介さない。

 7大会目にして「メダルに一番近い大会だった」と言えるのは、それだけスケールアップしてきた自負があるからだ。たとえば、14年の仁川アジアパラ競技大会(韓国)の100mでは2位に入り、個人種目では実に1999年以来となるメダルを獲得した。また昨年の6月には、スイスの国際大会の100mで、当時の世界ランク5位に相当する14秒07をマーク。自身が持つ日本記録を15年ぶりに塗り替えた。

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最終更新:9/18(日) 21:20

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