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ボルボを世界的な自動車ブランドに押し上げるきっかけになった名車『140』シリーズ

@DIME 9/19(月) 8:10配信

ボルボ初のミリオンセラーモデルである、「ボルボ140」シリーズは1966年8月17日に発表され、8年間で約125万台を生産。ボルボを自動車メーカーとして飛躍的に成長させるきっかけとなった。

新型4ドアモデル『ボルボ144』は、偶然にも、現地で起こったある事件の犯人を警察が追跡する騒動の最中に発表された。1966年8月17日、スウェーデン・イェーテボリ中心街のホテル、ローレンズバーグのホールに、およそ400人ものジャーナリストが集まった。そこでホールの可動壁が開き、3台の新しい車が発表されたのだ。それまで数年にわたって噂が流れ、待ちかねていたプレス関係者が目にしたのはシンプルで飾らない、そしてモダンなデザインの車だった。『ボルボ144』は、この印象深いアンベールと同時進行で、オスロ、コペンハーゲン、そしてヘルシンキでも発表された。

イェーテボリのプレス発表会で使用された車両は巨大な木箱に隠され、クレーンで会場に搬入された。当然ながら、新車発表会ということで全体の手順は可能な限り秘密にされていたが、それが困難となってしまった。警官を殺害した二人の犯人を捕らえるために、大規模な捜索が行なわれていたため。全国的に警戒体制がしかれる中で木箱が会場に運び込まれた。実はその時、警察は「二人の逃亡者が隣の映画館にいる可能性があり、映画館からの退避の必要がある」という機密情報をもっていた、というエピソードが残っている。

1960年6月、ボルボはCEOのグナー・エンゲローのディレクションの下、新しいモデルの基本的なコンセプトを決定した。それは、P660というプロジェクト名が示すように、『アマゾン』よりも大きいサイズでありながら、重量と価格帯を維持し、厳しい安全基準を満たした上で4~5人を快適に運ぶ車だった。従来モデルである『PV544』や『アマゾン』と同じホイールベースを採用したが、アマゾンが開発された時とは異なり、複数の異なるシャシーバージョンが開発当初から計画されていた。

さらにボルボは140シリーズから、1番目の数字がモデルシリーズ、2番目が気筒数、そして3番目がドア数を表すネーミング体系を導入した。話題となった発表会の2日後、1966年8月19日より『ボルボ144』の量産が開始された。1967年には2ドアの『142』が発表され、1968年には『145エステート』の生産も始まった。

また『144』と関連が深い『164』も、1969年モデルとして発表された。『ボルボ164』は多くのシャシーコンポーネントを140シリーズと共有していたが、直列6気筒のB30エンジンを搭載するため、ホイールベースは10cm長く、またフロントノーズも長くなった。そして1970年には新たなシャシーバージョンとして、『ボルボ145エクスプレス』が発表された。『145エクスプレス』は荷室を広く確保し大量の荷物を運搬できるよう、Bピラーから後方にかけてのルーフが盛り上がったデザインとなっていた。

チーフデザイナーのヤン・ウィルスガールドは、アマゾンのエレガントなラインを誕生させたキーマンであり、『144』にも似通ったラインが見受けられる。また、彼はアマゾンを連想させるグリルデザインに対しても強くこだわった。サイドウィンドウ下の広がったショルダーもアマゾンと似通ったものとなっていた。また、『アマゾン』と同様のバーティカルテールライトも『142』と『155』に採用された。

140シリーズは機能を優先しながらも、1960年代モデルとしての理想形にうまく適合していた。広々としたインテリアと大きな窓をもち、クリーンでシンプルなラインで構成されたスカンジナビアンデザインは、今でもポピュラーなものとして継承されており、140シリーズはその一つの体現ともいえる。

140シリーズはパッシブ・セーフティとアクティブ・セーフティの両方において、いくつかの重要な先進的安全性を備えていた。シャシーはねじり剛性が高く、クランプルゾーンとプロテクテクティブ・ロールケージを保持していた。また、ブレーキシステムは、フロントのツインハイドロリックサーキットと、デュアルサーキットシステムディスクブレーキにより、フロント、リヤ共に高い性能を誇っていた。この3系統を確保したシステムにより、一つの系統が故障しても、フロントとリアの一つのブレーキは効くようになっていた。

更に、ボルボによって初めて採用された、急ブレーキ時のホイールのロッキングを防ぐリデューシングバルブも追加された。その他にもスプリットステアリングコラム、コリジョンプロテクテッドダッシュボードを始め、ヘッドレスト、巻き上げ式シートベルト、シートベルトリマインダーといった装備も140シリーズにおいて標準装備された。

ボルボ140シリーズはフロントエンジン・リアホイールドライブという伝統的なレイアウトを採用していた。エンジンについては、当初アマゾンから受け継いだ、ツインキャブレター搭載の75hp-96hp(DIN)を発揮する1.8リッター4気筒B18エンジンが搭載された。その後1969年モデルには82hp-100hp(DIN)を発揮する2リッターB20エンジンを搭載。1971モデルからは120hp(DIN)を生み出す電子制御燃料噴射のバージョンも採用された。

その後、1974年夏に『142』、『144』そして『145』の生産が終了した。140シリーズの生産累計は125万1371台に上り、ボルボ初のミリオンセラーモデルとなった。140シリーズの誕生が、ボルボを世界的な自動車ブランドとして押し上げるきっかけとなったのだ。しかも140シリーズの栄光はそこに留まらず、1993年まで続くことになる。140シリーズの血統を受け継いだボルボ240シリーズは、19年間でなんと280万台を販売。ボルボ最大生産台数を誇るモデルとして大きな注目を集めた。

文/編集部

@DIME編集部

最終更新:9/19(月) 8:10

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