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オダギリジョーは“声”で観客の感覚を変化させる 『オーバー・フェンス』で演じる“半開き”の魅力

リアルサウンド 9/19(月) 6:00配信

 ダイアローグがモノローグのように聞こえてくる。オダギリジョーは台詞をそんなふうに発声することができる特別な俳優だ。

 つまり、だれかに向かって話していることばが、自分に向けての独り言に思える。心のつぶやきがモノローグなのだとしたら、その心が、そっと、だだ漏れしている。決して露悪的ではない。自己主張でも、自己憐憫でもなく。むしろ、心がこぼれることに抗わない潔さがある。それは、ひょっとしたら、きわめて上質のtweetに似ているかもしれない。他者へのことばが、無意識なまま自己批評になるような。そんなオダギリジョーの“声”は、最新主演作『オーバー・フェンス』でキャリア最高峰と呼んでいい達成を遂げている。

 主人公、白岩義男は妻子と別れ、故郷、函館の職業訓練校に通っている。妻を棄てたのか、妻に棄てられたのか。いまだに結婚指輪をしている彼は、おそらく後者なのだろう。だが、彼自身はそのことを曖昧なままにしていたいから、指輪を外していないのだと思われる。東京を離れ、始めた一人暮らしも、人生の区切りをつけているというより、グレーなエアポケットに自ら潜り込んでいるように映る。だれかの夫でもなければ、だれかの父親でもない。さらには、なにかの職種についているわけでもない。肩書きが不定で不明な場所こそが、彼自身のシェルターになる。そんな精神のありようを、曇り空がよく似合う函館の風土が程よく包み込んでいる。

 そんな男の仄かな、けれども、確かな推移を、オダギリは、彼だけのやり方で、表現している。

 誰かに話しかけられれば、すっと返答はする。あるいは、会話の流れの中で、自ら相手に問いかけることもある。だが、このひとは、根本的には他人というものには興味がないのではないか。

 白岩のそんな肌ざわりを、オダギリは決して暗くはない、いや、むしろ、聴きようによっては明るささえ感じられるトーンの声であらわしている。積極性はないが、人当たりが悪いわけではない。だが、その様子が、鎧でもカモフラージュでもなく、むしろ、彼自身の素直さの発露だと思わせる。そう、白岩は、己を遮断しているわけではない。「扉」は開いている。そのとき、気づく。オダギリの声は、いつだって“半開き”なのだということに。

 その響きは、うつむき加減にも思える。だが、彼は必ずしも下を向いて話しているわけでもなければ、特別シャイなわけでもない。話す機会を意志的に選び取っていないだけで、話すことそれ自体が億劫なわけでもない。本作に限らず、オダギリが演じてきた人物たちは一見、寡黙に思えて、己の欲望に蓋をすることなく、喋りたいときに、喋りたい分だけ、喋りたいように、喋っている。マイペースだが、暴力的ではない。キャラクターの瀬戸際を、この俳優は、ぎりぎりのセンスで伝えている。しかも、さり気なく。

 もし、わたしたちが、オダギリジョーの演技に、あるいは、本作の主人公像に惹かれるとすれば、あえて境界線を設けない“半開き”の無防備さに魅力を感じるからだろう。

 根本的には他人に興味がないように思えた白岩は、鳥たちの求愛に憧れを抱く女性、田村聡(さとし)との出逢いから、その様相が変化する。前述しように、仄かに、確かに。オダギリは芝居を激変させない。声を張る場面もいくつかある。だが、ダイアローグは相変わらずモノローグのように聞こえる。厳しいことばも、相手にではなく、自分に言い聞かせているように思える。

 そう、白岩が変化したのではない。わたしたちの“捉え方”が変化したのだ。彼は他人に興味がないわけではなかった。魂に蓋などしていなかった。オダギリは役を変化させるのではなく、観る者の感覚を変化させる。

 キャラクターのモノローグがダイアローグとしてあらわれる。もちろん、それは錯覚にすぎない。しかし、こうした錯覚を観客に植えつけることで、オダギリは、観客を、映画のそばに引き寄せる。そして、その旅に同行させる。

 『オーバー・フェンス』のラスト、白岩は発声しない。視線だけがある。だが、この映画と付き合ってきたわたしたちは、そのとき、そのまなざしから、間違いなく、彼の声を聞き取っている。

相田冬二

最終更新:9/19(月) 16:44

リアルサウンド

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