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ビートルズ、最後のライヴ

ローリングストーン日本版 9月19日(月)17時0分配信

呪われた1966年の全米ツアーを締めくくった、宿命のキャンドルスティック・パーク公演を聴いてみよう。

【動画あり】ビートルズ、最後のライヴ

1966年までにザ・ビートルズはツアーに殺されていた。文字通り殺されていたわけではなかったかもしれないが、それも日に日に、そうでもなくなりつつあるようだった。その年7月のアジアツアーを締めたのはフィリピンでの恐怖の事件だった。独裁大統領一家の招待をうっかり欠席してしまったことで、この4人組に対する反感がフィリピン全土に広がった。張り付いていたはずの警察が突然、一斉に撤収すると、ビートルズは怒れるナショナリストたちの手荒な扱いを自己防衛しながらどうにか空港にたどり着いた。彼らが出国することができたのは、コンサートの売上金を没収された後のことだった。

この厳しい試練の翌月に、今度は再び全米ツアーに出ないといけないことについて、特に大喜びする者はいなかった。「次にアメリカ人に打ちのめされる前に、数週間ほど休んで身体を回復させないと」と語るジョージ・ハリスンの冗談には、軽い怒り以上のものが込められていた。この即興のジョークは、ジョン・レノンが反宗教のつもりで発言したコメントが、メイソン・ディクソン線の南(訳注:アメリカ南部のこと)にいる聖書を抱えた熱心な信者を激怒させた時、ゾッとするような現実になった。彼らはビートルズのアルバムを焼却し、ビートルズ楽曲のボイコットを行い、殺害予告が連打された。ビートルズの飛行機の機体に空いた新しい弾痕は、ビートルズが疑いもなく、危険な状態にあったことを物語っていた。

肉体的な危険だけではなかった。ビートルズはミュージシャンとしても死につつあった。観衆に向けて演奏することは、かつては彼らの生命線だったのだが、その楽しさや充実感もすべて、名声が高まるにつれて失われていった。スポーツ用のアリーナはあまりにも大きく、観客の悲鳴のような歓声は100ワットのVOXアンプでは抗し難いほどに大きかった。スタジアム・ロックはまだ創世記で、ステージ用モニタースピーカーといった基本的な機材もまだ発明されていなかった。自分の声も聞こえない中で、彼らのミュージシャン精神も劣化していったのである。

「1966年には、ツアーはとても退屈なものになってしまった」と、リンゴ・スターはドキュメンタリー作品『ザ・ビートルズ・アンソロジー』で回想している。「僕にとってはもう終わりを迎えていた。ショーでは誰も音楽なんて聞いちゃいなかった。最初はそれでもよかった。でも僕らの演奏はひどかった」。ドラムセットの裏側から、リンゴはステージ前方の3つの揺れるお尻を見ながら、曲のどこを演奏しているのかを見極めるしかなかった。

観客もそのことを気にしていなかったわけではないのだが、少なくとも、彼らがどれほどボロボロになっていたのかを聞き取ることはできなかった。「コンサートの音響はいつもひどいものだった。だから僕らはステージ上で、ふざけて冗談ばかりやっていた」とハリスンは『アンソロジー』で振り返る。中でもレノンは、歌詞を微妙に卑わいな言葉に変えることに燃えていた("I Wanna Hold Your Gland(睾丸(こうがん))"といった具合だ)。何を歌っているのか、誰にも分かりっこないと見切っていたのだ。「ある種、見世物だった」と彼は後に語っている。「ビートルズは見世物だったんだ。音楽は関係なかった」

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最終更新:9月19日(月)17時0分

ローリングストーン日本版

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