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中邑真輔とケニー・オメガは裏表?「外国人選手」という枠は消えた!

Number Web 9月19日(月)18時1分配信

 今年の新日本プロレス“真夏の最強戦士決定戦”『G1クライマックス』は、優勝決定戦で後藤洋央紀を破ったケニー・オメガが初出場、初優勝を飾った。

 外国人レスラーが『G1』覇者となるのは、26回大会にして初の快挙であるが、『G1』以前、猪木時代の大型リーグ戦から数えても、新日本プロレス44年の歴史で史上3人目。ケニー以外の外国人優勝経験者は“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントと“超人”ハルク・ホーガンという、レジェンド中のレジェンドだけと言ったほうが、古くからのファンにはその重みが伝わるのではないだろうか。

 新日本のリーグ戦での外国人選手の優勝は、1983年に行われた『第1回IWGP』で、ハルク・ホーガンがアントニオ猪木を失神KOして優勝した、あの“猪木舌出し失神事件”以来、じつに33年ぶりの快挙だったのだ。

アントニオ猪木、坂口征ニが連覇していた初期リーグ戦。

 新日本プロレスの大型リーグ戦の歴史は古く、旗揚げ2年後の'74年までさかのぼる。当時の名称は、力道山時代から旧・日本プロレスで行われていた『ワールド大リーグ戦』を継承、踏襲した『ワールドリーグ戦』。しかし、初期新日本は外国人レスラー招聘ルートが乏しく、参加選手は二線級が大半。'74年から'77年まで4度行われた『ワールドリーグ戦』は完全に名前負けで、最初の2年間はエース猪木が優勝したが、あとの2年は他の選手と格が違うエース猪木は参加せず、ナンバー2の坂口征二が優勝。リーグ戦は“新日本最強決定戦”ですらなかったのだ。

 リーグ戦が本当の意味で“最強決定戦”と呼べる豪華メンバーとなったのは、'78年から。アメリカのWWF(現・WWE)と本格的な提携関係を結び、大会名をニューヨークの殿堂マディソン・スクエア・ガーデンにちなみ『MSGシリーズ』に改名。第1回大会には超大物であるアンドレ・ザ・ジャイアントが参戦。翌'79年の第2回大会からは、猪木、アンドレ、スタン・ハンセンの3強時代となり、優勝は4年連続で猪木。しかし、'82年の第5回大会では、猪木が膝の負傷で途中棄権。そのため優勝戦はアンドレvs.キラー・カーンとなり、アンドレが優勝。この時が新日本の大型リーグ戦で初の外国人選手の優勝だったが、それはエースである猪木が途中棄権というエクスキューズ付きだった。

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最終更新:9月19日(月)18時1分

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