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未唯mie「ピンク・レディー時代は仮眠45分、毎日微熱」〈週刊朝日〉

dot. 9月23日(金)11時30分配信

 1976年にピンク・レディーとしてデビューした未唯さん。じっくり振り付けの練習ができたのはデビュー曲だけというほど、多忙だった彼女が、その当時を振り返った。

*  *  *
 デビューのきっかけは、ケイ(増田惠子)と二人で出場したオーディション番組、「スター誕生!」です。あのときは、サロペット姿の素朴な格好で、フォークソングを歌って合格しました。もともと歌って踊る歌手を目指していたのですが、合格するためにあえて静岡の田舎娘ふうにしようと相談して決めたものだったんです。おかげさまで合格できたのですが、「そのままその路線になっちゃったらやだねぇ」なんて話してたら、最初についた名前は、「白い風船」というフォーク調のものでした(笑)。だけどその後、私たちのためにレコード会社や雑誌社なども交えた大型プロジェクトチームが結成され、路線は一転、名前も作曲家の都倉俊一先生のアイデアで、「ピンク・レディー」に決まりました。デビュー曲は、「ペッパー警部」。脚を開いたり閉じたりする独特のステップも注目されましたが、あれが意外に難しくて、ケイはなかなか雰囲気がつかめなかったようです。デビュー当時は事務所の下宿で一緒に暮らしていたのですが、夜に下宿の部屋でドタバタするわけにもいきませんよね。「ケイ、こんな感じだったよ!」と、街灯の下、一生懸命練習しました。

 じっくり振り付けが練習できたのは、そのデビュー曲だけでした。「UFO」のときは、本番2時間前に覚えたんですよ。とにかく忙しかったですね。「仮眠を45分」という世界でした。睡眠不足からだと思うのですが、毎日微熱があるような感じで、真夏でも寒くて体が痛かったことを覚えてます。

 移動も大変で、衣装の上に私服を着て電車移動をしたり、渋滞に巻き込まれて車を乗り捨てたり。ご迷惑をかけたと思います(笑)。

 78年には「UFO」で日本レコード大賞をいただきました。そのとき司会の高橋圭三さんが言ってくださった言葉に、すごく感激しました。「いつでも笑みをたたえ、そして、全力投球で歌いましたこの二人、そのつつましさ、優しさというものは、まさに現代の天使だろう」って。高橋さんは、私たち自身のがんばりを理解してくださったのです。それまでのつらさが全部吹き飛ぶようで、受賞よりも、この言葉のほうが嬉しかった気がします。ピンク・レディーでの活動を通して思い出深い曲は、やっぱりデビュー曲の「ペッパー警部」、そして、アメリカでも活動をしていた79年にリリースした、「マンデー・モナリザ・クラブ」です。「二人が本当にやりたかった曲を、そろそろ作ってあげようじゃないか」と阿久悠先生がおっしゃられて、都倉俊一先生が作曲してくださったディスコ調の曲です。その後、ソロ活動と並行して、ピンク・レディーは何度か再結成を繰り返し、2010年に、「解散やめ!」宣言をして、継続した活動を続けています。ケイと二人で衣装を着てステージに立つと、スイッチが切り替わり、自然とピンク・レディーになれます。時間を超えちゃいますね。

※週刊朝日 2016年9月30日号

最終更新:9月23日(金)11時44分

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