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バブルに消えたハリマヤシューズ。日本の「ものづくり」よ永遠に

webスポルティーバ 9/21(水) 11:25配信

短期連載~消えたハリマヤシューズを探して(5)

■日本製にこだわったハリマヤの職人気質■

 今から100年以上前、東京高等師範学校の学生・金栗四三(かなぐり しそう)と、東京・大塚の足袋店ハリマヤの主人・黒坂辛作(くろさか しんさく)が出会ったことから生まれたマラソン足袋。改良を重ねた製品は「ハリマヤシューズ」として、多くのランナーに愛され、各地の競技会で好成績を収める。

【写真】ストックホルム五輪でプラカードを持ち入場行進をする金栗四三

 高度経済成長によって日本が豊かになり、スポーツを楽しむ人々が増えるにつれて、シューズメーカーとしてのハリマヤ運動用品もまた発展し、辛作から数えて3代目、孫の代へと経営も移っていった。当時、ハリマヤはその発祥の地、東京の大塚に本社を構え、北陸地方にいくつかの生産拠点を持っていた。

 そのひとつ、コシヒカリで知られる新潟県の六日町(現・南魚沼市)では、廃校になった校舎を改修してシューズ工場にしていた。かつてハリマヤの社員だった千葉茂が当時を振り返る。

「教室の壁をぶち抜けば、パーツの裁断、縫製、ソールの圧着といったシューズの生産ラインを作るのに都合がよかったんです。体育館に配送センターを作って、校庭にトラックを入れて出荷した。でも、ドカ雪が降ると工場が閉鎖になってしまってね」

 千葉は入社して間もなく六日町の工場へ研修に行かされた。新人は製造ラインに入り、実際にシューズを作ることでマラソンシューズのなんたるかを知るのだ。

 ハリマヤは絶えずシューズ開発の最先端をいくという自負が、社内にはあった。ハリマヤが新技術を導入し、他社が追従する。たとえばシューズのサイドにある3本のライン。そもそもがデザインではなかった。

「昔のシューズは布製なので、走っているとどうしても靴が膨らんで足元がぶれます。そこで布の伸び止めとしてハリマヤが他に先駆けてラインをつけたんです」(千葉)

 他にも、シューズにヒールカップを入れ、インソールを敷き、アッパーをメッシュ素材へと、常に他社をリードして新機軸を打ち出したハリマヤ。しかし一方で、1960年代から70年代の陸上長距離界は、オニツカ(現アシックス)のマラソンシューズ「マジックランナー」に席巻される。

 1964年の東京オリンピックでは「マジックランナー」を履いた円谷幸吉が銅メダル、1968年のメキシコオリンピックでは君原健二が銀メダルを獲得。マメができにくい、文字通り「魔法のシューズ」として人気が高かった。

 当時のハリマヤには最上位モデルとしてカナグリシューズを進化させた「ニューカナグリ」があったが、「マジックランナー」の一人勝ち状態で売れ行きが芳しくない。

 あるとき千葉は、ハリマヤの展示会にやってきたスポーツ用品店の店主に「マラソンシューズは2種類もいらないよ」と軽くあしらわれた。小売店からすれば、マラソンシューズはどれも同じようなもので、売れ筋の「マジックランナー」だけ置けばいいという感覚だったのだろう。

 カチンときた千葉は、「おい、カッター持ってこい!」と部下に命じて、その店主の目の前で、ニューカナグリの靴底を真っ二つに割ってみせた。

「見てください。ニューカナグリはソールの作りが違います。足全体を包みこむようにU字型になっています」

 ハリマヤではシューズのフィット感が増すように、ソールを貼り込むときに靴職人が1足ずつ手作業でU字になるように仕上げていた。平らなソールに足を入れるよりも、シューズの中で足が暴れずにブレが少ない。

「お店にニューカナグリも置いてください。どちらがいいかはシューズに足を入れたお客さんが決めてくれるはずです」

 熱心に説明する千葉に気圧されて、その店主はニューカナグリを発注してくれたという。

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最終更新:9/21(水) 11:25

webスポルティーバ

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