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江戸時代の風俗は寺院の前にあるのが常識だった!?

BEST TIMES 9月22日(木)18時0分配信

安永4年(1755)に長崎のオランダ商館に着任したスウェーデン人の医師・植物学者のツンベルク(ツュンベリー)は、その著『江戸参府随行記』に、「日本のすべての港には女郎屋があり、しかも一帯でもっとも豪華な造りだった。これらの女郎屋はたいてい寺院の門前にあった」という意味のことを書いている。

ツンベルクの指摘は基本的に正しい。江戸時代、わが国には津々浦々に遊里があり、しかも神社仏閣の門前にあることが多かった。当時、庶民の最大の念願は「お伊勢参り」をすることだったが、伊勢神宮の門前にも「古市(ふるいち)」という遊里があったほどである。時期により多少の変遷はあるが、江戸時代、神社仏閣の門前で女郎屋が堂々と営業していた。

たとえば江戸では、時代により若干異なるが、文京区の根津神社の門前には、岡場所「根津」があった。台東区谷中の天王寺(天保3年までは感応寺)の門前には「いろは茶屋」と呼ばれる岡場所があった。江東区の永代寺の門前には岡場所「深川仲町」があった。文京区の護国寺の門前には「音羽」と呼ばれる岡場所があった。港区の芝大神宮(芝神明)の門前と境内には岡場所「芝神明」があった。新宿区の赤城神社の門前と境内には「赤城」と呼ばれる岡場所があった。新宿区の市谷八幡の門前に岡場所があった。墨田区の両国回向院前に岡場所があった。などである。

これら神社仏閣の門前で女郎屋が公然と営業していたことについて、「性は聖だったから」という説がある。はたしてそうだろうか。たしかにもっともらしいが、こじつけにすぎないであろう。牽強付会、我田引水と言ってもよい。実際はまったく逆で、日本人は本来、性(女郎買いをふくむ)を罪や悪とは考えていなかったからであり、性に対する宗教的な抑圧もなかったからでもある。だからこそ、神社仏閣の門前で女郎屋が公然と営業し、男たちはあっけらかんと女郎買いを謳歌していたのである。

一例をあげると、『会本恋乃的』(勝川春章)で、女と密通している僧侶が情交しながら、「南無妙法蓮華気がいく、いく」と、つぶやく。「気がいく」に南無妙法蓮華経をもじっているわけである。宗教を神聖視する観点からはまさに許しがたい冒涜行為であろう。ところが、江戸の人々は笑ってながめていた。寺院の関係者も苦笑していただけであろう。春画の書入れには、こうした宗教を茶化した書入れが少なくない。当時の読者が面白がり、宗教界からもとくに抗議がなかったことを示している。性が聖だったとはとてもいえない。

文/永井 義男

最終更新:9月22日(木)18時0分

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情を揺さぶれたらいいな、と思います。