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一度は可能性ゼロに近づいたオバマ大統領広島訪問。悲願実現の舞台裏に迫る 『オバマへの手紙 ヒロシマ訪問秘録』 (三山秀昭 著)

本の話WEB 9月22日(木)12時0分配信

 5月27日、アメリカの現職最高指導者のバラク・オバマ大統領が、被爆地・ヒロシマを訪問した。もちろん前例のないことで、まさに歴史上の画期的なエポックであった。
 ただ、オバマ大統領のあの文明論的なスピーチと、米兵被爆死者の調査を続けてきた森重昭さんとの抱擁シーンは誰もが覚えているが、どんなプロセスで、あの歴史的訪問が実現したのか、となると、誰も知らないのではないか。日米政府ともその経緯は明らかにしていないし、今後もしないだろう。
 本書は、この歴史的訪問の実現を水面下で動かした現地メディア社長が、日本政府、ホワイトハウス内部、広島市、広島県に食い込んでウォッチした、秘話満載のインサイドドキュメントである。

――タイトルにもなった「オバマへの手紙」は、三山さんの企画だそうですね。これは、どんな経緯で始まったものなのですか?

「オバマへの手紙」とは、広島の被爆者や一般市民が、オバマの広島訪問を熱望する気持ちを「手紙」にして、ホワイトハウスに届けたものです。言わば「ヒロシマの心」を伝えたラブレターのようなものですね。2年にわたって募集したものを、2回、1472人分をホワイトハウスの高官に届けました。スタートは2013年後半からですから、足掛け3年です。

 きっかけは2012年9月1日の広島テレビの開局50周年でした。その記念事業を検討する中で、「被爆地らしいことをやろう」と「piece for peace(平和へのひと筆)」というキャンペーンを始めたのです。

 実は広島の平和公園には年間1千万羽の折鶴が世界から手向けられます。しかし、飾られるのはごく一部、多くは倉庫に保管されますが、大量に送られてくるので保管場所にも困り、市当局が「折った人の平和への気持ちが生かされるなら、再利用することは認めよう」となったのです。そして2011年に、再利用の第一号として、広島テレビの企画が認められました。それは、折鶴を溶かして作った再生紙に、今は化粧筆で有名な広島・熊野町名産の毛筆で、「心に想う一文字」を書いてもらうという企画です。

 最初の「ひと筆」はあのビートルズのジョン・レノンの妻で平和運動家のオノ・ヨーコさんで、「夢」と書いてくれました。

――それがどうして「オバマへの手紙」につながったのですか。

 キャンペーンは大変な反響を呼び、世界各国からの観光客も含め、1万8156文字も集まりました。テレビ番組にしたり、展示会をやったり、絵本にもしましたが、これだけの反響を、広島テレビの50周年事業だけで終わらせてしまってはもったいないので、この企画を「オバマへの手紙」に切り替えることにしたのです。

 この時点で2016年のG7サミットの日本開催は分かっていたし、プラハで「核なき世界」を唱え、ノーベル賞に輝いたオバマ大統領だから「ノーベル賞に相応しい業績として被爆地ヒロシマを訪問してもらおう」という狙いでした。

 具体的には、折鶴の再生紙にあらかじめ「President Barack Obama, please pay a visit to Hiroshima」と印刷しておき、その下に、市民の方々にオバマの広島訪問を望む気持ちを書いてもらいました。

――そこで意外な事実に遭遇したそうですね。

 被爆者を含め、広島市民は誰も、「原爆投下にひとこと謝ってほしい」とか「謝罪のために広島を訪問してほしい」とは思っていないことが分かりました。

 そこで第1弾として2014年5月に、被爆者、知事、市長、高校生、主婦など72人分の「手紙」を私が携えてホワイトハウスを訪問し、国家安全保障会議(NSC)の高官と会って、「ヒロシマは何も原爆投下の謝罪のための訪問を求めているわけではないのだ」と説明しました。

――オバマ大統領が平和公園で抱擁した森重昭さんのことも、三山さんがホワイトハウスにつないだそうですね。

 それは2回目のホワイトハウス訪問の時です。被爆・敗戦70周年が終わった2015年9月に、今度は被爆者、被爆二世、一般市民1400人の手紙を持参して、やはり「被爆者や広島市民は謝罪にこだわっていない」と繰り返しました。ただ、そのことはホワイトハウスもすでに理解していたので、「それだけでは弱い」と思い、森重昭さんの被爆米兵死者の話を持ち出しました。原爆で米兵捕虜も12人が死亡しており、それを自らも被爆者である森さんが地道な調査を続け、その結果、原爆慰霊碑の被爆死没者名簿への記載を広島市に働きかけ実現したことを伝えました。つまり、被爆米兵も追悼、慰霊の対象になっていることを詳しく説明したわけです。ホワイトハウス高官は「興味深い話ですね」と関心を示したので、私がその詳細を書いた長文の英文原稿を渡し、

「よく読んでほしい。必ず、オバマ訪問のカードになるはずだ。この話は広島訪問に反対する米国内の退役軍人や保守派を説得するカードになる。オバマは広島を訪問しやすくなる」

 と繰り返し強調しました。このあたりは、本書の〈第9章「オバマへの手紙」特別版 被爆米兵と森重昭さん〉に詳細に書きました。私が最初にオバマ広島訪問の「感触」らしきものをつかんだのはこの時です。高官が森さんの話に強い関心を示したからです。

――事実、森さんの存在はオバマ広島訪問のキーになりましたね。

 私も原爆で米兵捕虜が死亡していたことは、2011年に広島テレビの経営者になるまで知りませんでした。それまでは、「広島は捕虜収容所がないので投下地になった」と聞いていましたから。そこで、広島の大学教授や森さんなどと接触し、事実を確認しました。「アメリカが落とした原爆で米兵捕虜が12人も亡くなっている」という“不都合な真実”は日米双方とも長らく極秘扱いしていました。外務省局長OBでも「エッ、米兵も死んでいるんですか」という反応でした。

 そこで、「森さんの話は絶対にカードになる」と思い、ホワイトハウス高官に詳細な事実を伝え、帰国後は森さんにだけは高官とのやり取りを報告しましたが、その後、論壇誌に原稿を書いた時も、このテーマは極力避けました。「カードは切ってオープンにしたらカードにならない」と思ったのです。

――実際は伊勢志摩になりましたが、オバマの広島訪問の環境作りのため、G7サミットを広島で開催するという計画もあったと聞きましたが。

 事実です。私はかつて新聞社のワシントン特派員を3年やったことがあります。ですから、多少はアメリカ人の原爆に対する考え方、特に退役軍人ら保守派のスタンスはわかっているつもりでした。大統領が被爆地ヒロシマを訪問することは「謝罪につながる」として、保守派は反対するだろうとは簡単に予想できました。まして、ポストオバマを決める大統領選が熱気を帯びている時期ですから。戦後50年の1995年にワシントンのスミソニアン博物館で企画された「原爆展」が保守派や連動する議員の反対で事実上、つぶされたことを知っている人なら、同様な懸念を抱いたことでしょう。

 そこでオバマが広島を訪問しやすいように2016年のG7サミットを広島で開催すれば、オバマは「広島でサミットがあるので広島に行く」というエクスキューズが保守派に対して使えると思ったのです。広島には毎年の8月6日の平和記念式典に各国のVIPを招いているので、警備の経験も豊富だし、サミットの主会場を三方が海に囲まれたホテルにすれば、問題ないとも考えました。私が会ったホワイトハウス高官も「広島サミットなら大統領は行きやすい」と語っていたし、国務省も「広島サミットはいいアイディア」との反応でした。

――しかし、伊勢志摩サミットになりました。どんな裏ストーリーがあったのですか?

 これも、本書の〈第7章「伊勢志摩」サミットに決まる裏ストーリー〉に詳細を書きましたが、幾重ものインサイドストーリーがあります。

「伊勢志摩」は安倍首相が決めました。他の候補地は地元が誘致の名乗りを上げたのですが、伊勢志摩は安倍官邸が陰の力で、立候補するように誘い出し、自作自演で決めたのです。もちろん、会場のホテルが陸地と橋2本だけでつながっている島にあるので、警備面で優位だったのですが、やはり安倍首相の伊勢神宮への特別な思いが大きかったと思います。

 ただ、それがなくても、広島はむずかしかった。というのも、腰を抜かすようなシークレット情報があとからわかったのです。それは、ケネディ大使が日本側に、「オバマ大統領の心情」として、「大統領はサミットが広島開催だから結果として広島に行くという形は望んでいない。仮に広島に行く場合は自らの意思で訪問するという形を取りたい」と、極秘に伝えていたというものです。ホワイトハウス高官も、国務省も、広島でのサミット開催について、「Good idea」としていましたが、オバマ自身は違ったのです。碁でいえば1目先だけでなく、2目、3目先を読まなければいけなかったのです。仕掛人の一人として恥じ入るばかりです。こうして広島サミットは消えましたが、「伊勢志摩」に決まる経緯から、逆にオバマの広島訪問の可能性は残っていると読めました。

――本書は、日米間の国際政治のインサイドストーリーが満載ですが、オバマの「核なき世界」のプラハ演説から、広島訪問実現まで7年間、日米間には一体何があったのですか。裏面劇を教えてください。

 ここは大変興味深いエピソードが満載です。まず、オバマ大統領は任期中、4回訪日しています。2009年11月、10年11月、14年4月、そして16年5月です。最初は09年1月に就任し、4月のプラハでの「核なき世界」演説、それが評価されてのノーベル賞受賞(10月)を経ての11月の初訪日です。

 大統領の初訪日に先立ち、ジョン・ルース駐日大使は外務省の藪中三十二次官と広島訪問について非公式に意見交換しています。ただ、その年の9月に民主党を中心とする鳩山由紀夫政権が誕生したばかり。しかも鳩山首相は沖縄の米軍普天間基地の移転に関し、「最低でも県外」と日米合意をひっくり返す見解を表明して、日米関係はギクシャクしており、藪中次官もこの時点での広島訪問には消極論を伝えるしかなかった。このため、大統領はサントリーホールに各界代表を呼んで演説、そこにオバマブームに沸いていた福井県小浜市の市長を招待するなどの演出で終わりました。

 2回目は横浜市で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の際の訪日。この時、日本は菅直人内閣になっており、日米関係は進展しないままで、オバマ大統領は「子供のころ、訪ねたことがある」という鎌倉大仏を楽しんで日程を終えました。

――3回目の訪日(2014年4月)まで間が空きましたね。2014年というと安倍政権になっていました。

 そうです。12年12月の総選挙の結果、自民党が政権に復帰、安倍内閣が誕生しました。そして翌年12月に安倍首相は自らの信念として靖国神社参拝に踏み切ります。参拝に先立ち、側近の補佐官をワシントンに送り、地ならしを試みました。国務省高官は「参拝すれば日米関係に影響する」と釘を刺し、その理由として「オバマ政権のリバランス政策で日本、中国、韓国、東南アジア重視に転換している時に中国、韓国が最も嫌う靖国参拝はまずい」と解説しています。しかし、暮れも押し迫った12月25日、安倍首相は米側の意向を無視する形で参拝しました。これにはホワイトハウスが激怒、「disappointed」(失望した)と極めて強い調子の声明を発表しました。また、中国、韓国も予想通り激しく反発しました。このため、オバマ大統領の訪日は2014年4月まで待たなければならず、14年の訪日も国賓にも関わらず、ミシェル夫人は同行しませんでした。1カ月前の3月にミシェル夫人が2人の子供を連れて北京を訪問、習近平夫妻と会っているのと好対照でした。大統領も訪日後、韓国、その後中国を訪問して東アジアの融和に努めました。中国、韓国は「日本は広島、長崎の被爆を通じて戦争の被害面だけを強調し、加害部分を覆い隠そうとしている」と、大統領の被爆地訪問に不快感を隠さない状況下で、オバマ大統領の広島訪問の可能性は限りなくゼロになりました。

 これを打開できたのが、2015年4月の安倍首相の米議会上下両院合同会議での日本の首相としては初めての演説でした。「希望の同盟へ」と題する演説で、かつて「熾烈に戦い合った敵は心の紐帯が結ぶ友になった」と硫黄島の日米決戦のエピソードに触れ、議場はスタンディングオベイションに包まれ、「和解の演出」としてはかなりのものでした。一方で、地道な外交努力により、日中韓も次第に軟化の兆しが見え、首脳会談も行われるようになり、ようやくオバマの広島訪問の素地が復活したのです。

 このようにオバマ大統領の歴史的な被爆地・広島訪問は、単に「核」というアングルだけではなく、日米同盟関係、国際情勢、とりわけ東アジア情勢というベクトルと無関係に実現したのではないと考えています。

――お話をうかがってみると、三山さんが、裏方として、この歴史的訪問を動かしたわけですね。

 いや、それは違います。この本の出版にも実は躊躇しました。「手柄話」と受け取られるのがイヤだったのです。しかし、ある人から「オバマ訪問の裏に何があったのか事実は書き残すべきだ」と言われ、書きました。

 勘違いしてはならないのは、あくまで決断したのはオバマ自身、大統領に決断させた最大の功労者は亡き父J・F・ケネディ大統領の遺志を引き継ぐキャロライン・ケネディ大使、政治的に組み上げたのはジョン・ケリー国務長官と、被爆地出身の岸田文雄外相を合わせた「三人のK」です。

 広島テレビによる「オバマへの手紙」は被爆者や市民とホワイトハウスを仲介しただけで、その意味、私、そして私たち広島テレビはmedium(仲介、媒介する)の複数形であるmedia(メディア)の役割の一端に関与しただけです。

三山秀昭(みやま・ひであき)

1946年富山県生まれ。早稲田大学を卒業、読売新聞社入社、千葉支局を経て政治部、レーガン政権の1、2期の間、ワシントン特派員。社長室秘書部長、編集局政治部長。秘書役、経理局長、読売テレビなどを経て、2011年より広島テレビ放送社長。小泉内閣時代に政府税制調査会委員も。著書に、『世界最古の日本国憲法』(潮書房光人社)、共著に『日本と世界これからどうなる』、『十年後の衝撃』(ともにPHP研究所)、『平成改元』、『日本安保三十年』(ともに行研出版局)、『ゴルバチョフのソ連』、『政 まつりごと』(ともに読売新聞社)など。論壇誌への寄稿多数。

聞き手:「本の話」編集部

最終更新:9月22日(木)12時0分

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