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“貧困の悪循環”で8人を殺害…凶悪犯の更生教育は正しかったのか【大量殺人事件の系譜】

週刊SPA! 9/22(木) 9:10配信

 子どもの貧困、老後破産、ワーキングプア、格差、戦争・紛争による困窮――。貧困問題は古今東西、最も重要な懸案事項のひとつであり、また、重大事件の動機にもなってきた。

◆古谷惣吉連続殺人事件(1965年)大量殺人事件の系譜~第8回~

 1965(昭和40)年、わずか1か月半のあいだに、関西から九州にかけて8人を殺害する凶悪な連続殺人事件が起きた。犯人は「稀代の殺人鬼」と呼ばれた古谷惣吉(当時51歳)だった。

 金銭に窮していたことが事件の引き金だが、それは自業自得であった。16歳のとき窃盗で少年院に送られた古谷は、以来、50歳で仮釈放されるまでの34年間のうち、29年間を獄中で過ごしてきた。人生の大半である。詐欺や恐喝未遂、殺人などの犯罪を繰り返し、娑婆と刑務所を行きつ戻りつしていたのだ。塀の外に出るとカネに困り、再び悪に手を染める。悪循環だった。50歳で熊本刑務所を仮出所した古谷は、更生施設に身を置いていたが、半年後、姿を消してしまう。

 事件は、まるでミステリー小説のような展開をたどる。1965(昭和40)年11月22日、福岡県新宮町で塾講師の男性の他殺体が発見される。現場には遺留品があり、1週間後、持ち主が判明。捜査員が急行すると、事件のカギを握ると思われていたその人物は、他殺体となっていた。最初の殺人の犯人と目されていた男は、実は第二の殺人事件の被害者だったのだ。

 さらに、第一の事件とされていた福岡県の事件よりも前に起こった、滋賀県大津市の殺人事件も、同一犯との見方が強まった。事件は一気に「謎の連続殺人」の様相を呈し、世の中に恐怖が広がる。一連の事件には共通点があった。まわりに人家がなく、中高年の独居男性が住む一軒家での犯行。殺害後の遺体には布団がかけられており、財布や時計がなくなっている。そして犯人は、現場にあったパンやみかんを盗み食いしている――。

 事件は本当に、連続殺人なのか。3つの県にまたがる事件のため、各県警の縄張り争いが捜査に支障をきたすなど、容疑者が絞りきれない。2年前の1963(昭和38)年には、弁護士や大学教授に扮しながら全国で5人を殺害し、2か月半も逃亡していた「西口彰連続強盗殺人事件」も起きている。今回も犯行が重ねられる可能性は高い。そうした懸念は、杞憂に終わることなく、現実のものとなる。

 警察庁は12月9日になって、広域重要105号事件に指定。同月12日に古谷を全国に指名手配した。手配の直後にも、兵庫県西宮市で2人の遺体が発見され、現場近くにいた古谷がようやく逮捕された。当初は犯行を否認していたが、やがて、8人の殺害を認めた。取調べによると古谷は、各地を放浪しながら目星をつけた一軒家で、

「一晩、泊めてほしい」

「飯を食わせてくれないか」

 などと要求し、断られると短絡的にも殺害におよび、小銭を盗んでいたのだった。さらに驚くことに、証拠不十分で不起訴になった事件も含めると、計12人の殺害に関わっていたとされる。

 1914(大正3)年、長崎県で生まれた古谷は早くに母を亡くし、父とも折り合いが悪かった。前述のように、16歳以降のほとんどの時間を刑務所で暮らしてきた。1951(昭和26)年、19歳の少年とともに、福岡県で2人を殺害する強盗殺人事件を起こす。この事件では、見張り役に過ぎない少年が主犯とされ、死刑が執行されてしまった。実行犯の古谷は証拠不十分で懲役10年の判決を受け、その仮出所直後に8人の連続殺人を犯したのである。

 上告が棄却され死刑が確定したのは、1978(昭和53)年のこと。古谷には身寄りも知人もなく、面会や手紙のやり取りはほぼ皆無だった。7年後の1985(昭和60)年に死刑が執行されたが、これは当時、死刑執行の最高年齢だった。享年71。

「もはや戦後ではない」

 1956(昭和31)年に経済白書はこう宣言した。しかし、世の中はなべ底不況に陥り、三池争議や安保闘争などが起こるなど、社会は混迷を深めていた。そんな時代、凶悪犯の刑務所での更生教育と出所後のあり方が、大きく問われた古谷惣吉の事件であった。 <取材・文/青柳雄介>

日刊SPA!

最終更新:9/22(木) 20:25

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