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「慶応マフィア」がアート界を席巻! 六本木ヒルズの美術館長になったワケ

NIKKEI STYLE 9/23(金) 11:10配信

 現代アートのうねりは、経済のうねりと連動している。「1980年代半ばくらいまで、世界のアート関係者は日本に注目していた」と、森美術館館長の南條史生氏は振り返る。各地に次々と美術館が建設されていったのも、そのころ。南條氏を含め、美術史を学んだ学生たちは次々とそこへ吸収されていった。

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 美術界には「慶応マフィア」という言葉があります。バブル経済華やかなりしころ、美術界でそれほど一気に慶応義塾大学出身の美術関係者が増えた時期がありました。考えてみたら、僕もその流れに乗っていたのかも。日本の現在美術を初めて海外へ送り出したのも、僕でした。

 もっとも、渦中にいた頃は、「今はバブルだ」なんていう認識はありませんでした。ただ単に、美術が好きでやっていただけのことです――。

■旅行雑誌の仕事でドイツのカジノを取材

 美術の仕事に就く前は出版に携わっていました。学生のころから学費の足しにしようと旅行雑誌の編集を手伝っており、辞める直前には副編集長にまでなっていました。編集の仕事も、それなりにおもしろかったんです。ある日突然、出版社の社長からポンと大金を渡されて、「ドイツへ行ってカジノの取材をして来い」と言われたこともありました。

 ドイツのカジノは米国のそれとは違い、富裕層たちが集う洗練された社交場です。「クアハウス」と呼ばれる、18世紀の宮殿のような湯治場も併設されています。レストランやコンサートホールなどの文化施設もある。それらの写真を自分で撮り、取材をし、広告までとってきました。その時は、60ページくらいのカジノ特集をほとんど1人で書きました。

 取材の際には、必ずニコンのカメラを2台、出張の際は、それに加えてレンズを3本持って行きました。当時のカメラは重くて(笑)。カメラバッグのせいで肩をおかしくしたこともありました。今も、写真は趣味で続けていますし、当時の経験は文章を書いたり、美術展の図録をつくったりする際に役に立っています。

 友人から「国際交流基金が美術の専門家を探している」と教えられなければ、あのまま編集の仕事を続けていたかもしれません。未練はありましたけれど、せっかく美術を志したのだし、それに関係する仕事に就きたいと改めて考え、国際交流基金の採用試験を受けたら、合格しました。

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最終更新:9/23(金) 11:10

NIKKEI STYLE

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