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【昭和の秘湯をふり返って】八幡平を巡る秘湯群

旅行読売 9月23日(金)13時30分配信

旅行作家 野口冬人

 池田勇人内閣による所得倍増論、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種の神器、そして東海道新幹線、名神・東名高速道路の開通など、昭和30年代~40年代にかけては、急速に世の中が変化していった。
 その頃、私は熱中していた山登りから、少しずつ日本の自然の美しさの探訪に大きく目が移りつつあった。それまではひたすら山を歩き、「山こそわが人生」などと思い込んでいた。そんな折、私の山仲間のひとりが南アルプス・赤石岳で遭難し、小渋川源流の広河原で自分の手でダビに付す大きな事件があった。
 これが契機の一つになり、私の山歩きに対する考え方が少しずつ変わっていった。「もっと、広く日本の自然を知ろう」と考えるようになった。
 私も世の中の動きと共に、急速に変わっていった。
 美しい自然の中に、国民宿舎や国民休暇村(現・休暇村)が昭和30年代に次々と建設されていき、大衆の旅の志向と発展に大きく寄与した。

昭和30年代の玉川温泉主役は連泊する湯治客

 私は山を歩くと、帰りに山麓のあまり知られていない温泉を訪ねるのが楽しみの一つであった。特に東北の山々は、未知の山、秘境の山、秘境の渓谷として知られはじめ、私の山歩きも、山形、岩手、秋田、青森などの各県と渓に目が向き、和賀山塊から八幡平、八甲田連峰へとひきつけられていった。
 八幡平から鹿角(かづの)、十和田湖、奥入瀬(おいらせ)渓流などを知ったのは、秋の紅葉に埋めつくされた時期であった。ことに八幡平を歩いた後、後生掛(ごしょうがけ)温泉に泊まり、さらに焼山を越えて、玉川温泉へ初めて歩いたのは、今も忘れられない思い出になっている。
 白々とした岩肌をむき出しにした広い谷、もうもうと立ち上がる湯けむり、人の手を寄せ付けない荒々しい玉川温泉の風景は、ここだけが別天地と言われた証左であった。万病を癒やすと信じられ、湯治場として古くから人気があった。源泉地周辺は微弱な放射能を発する天然記念物・北投石(ほくとうせき)を産出する所としても知られていた。訪泉者は入浴ばかりではなく、「岩盤浴」を併用するのがここの特徴であった。地熱の高い岩盤上にゴザを敷いて横になり、温まりながらごく軽いラジウム浴をする。
 その途中には当時、木を囲った自然の露天風呂が設けてあった。私は早速、裸になって白濁した源泉そのままの湯を楽しんだ。昭和30~40年代のこの頃は、湯治客以外に訪れる人もいなかった。ほとんどのお客さんは2週間、3週間を連泊して、湯治生活を送っていた。

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最終更新:9月23日(金)13時30分

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