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“都議会のドン”内田茂 西武グループ御用聞きからの成り上がり

デイリー新潮 9/24(土) 5:51配信

 ずんぐり体型に太い眉、時折、憎めない笑顔も見せるが、「都政のドン」には大臣も萎縮するほどの威圧感がある。そんな内田茂・自民党都連前幹事長(77)も、40年ほど前は一介の区議会議員だった。だが、並みの議員と違ったのは、「西武鉄道グループ」(当時)にしっかり食い込んでいたことだ。

「内田さんのことはよく覚えていますよ」

 そう振り返るのは、西武鉄道グループ(現・西武ホールディングス)の元幹部氏である。

「1970年代半ばごろでした。当時、西武不動産に籍を置いていた私は、ある時、専務に呼び出され “内田茂という男がいるんだけど、いま、赤坂プリンスホテルの建設で世話になっている。ついては、彼のために千代田区の有権者の名簿を作ってほしい”と言われたのです。私が千代田区の住人だったことも大きな理由でした」

 当時、西武鉄道グループは総帥・堤義明氏のもとで赤坂プリンスホテル新館(所在地は千代田区)の建設計画に着手していた。現在は取り壊されてしまい別の建物が建っているが、世界的建築家・丹下健三氏の設計による銀白色の建物は、ランドマークとして親しまれたものだ。

 だが、計画が持ち上がった当時は40階建てという高さもあって、建蔽率や日照の問題が立ちはだかっていた。

「内田さんに世話になったのは、地元対策、つまり地元の了解を取りつけてもらうことだったと記憶しています。でも、不思議だったのは、相手が新人の区議だったこと。西武グループは、政界に太いパイプがあり国会議員を何人も支援していた。政治力を使いたいのなら彼らを動員すればいい。不思議に思って聞いてみると、内田さんが自分から“お手伝いさせてください”と売り込んできたというのです」(同)

■400人の名簿

 当時、内田氏は千代田区議に当選したばかりの1年生議員(75年に初当選)。それも、当選者36人中35位という薄氷の選挙だった。

 元幹部氏が続ける。

「上司の命令ですから仕方ありません。当時、私は娘と息子を千代田区内の中高一貫校に通わせており、部活の送り迎えには系列の西武バスからバスを無料で出してあげるなど、父兄会では顔の利く存在でした。そこで、千代田区内に住所がある父兄たちに、“実は、応援している区議がいます。お名前を拝借したうえで、次回の選挙では内田さんにお力添え頂けませんか”と声をかけて回ったのです」

 元幹部氏は、一軒一軒了解を取り、1カ月近くかけて作った約400人分の名簿を内田氏サイドに渡した。それもあってか、初当選時は550票だったが、2回目は1001票を獲得し、4番目で再選を果たす。

「名簿を渡したあと、内田さんが奥さん連れで私の家に挨拶に来ました。“名簿を有り難うございました”とね」(同)

 以降、内田氏は区議会議長を経て都議会に進出してゆく。82年、赤坂プリンスホテル新館は無事に竣工。同ホテルで内田氏の娘が豪華な結婚式をあげるのは、それからしばらく後のことである。各界のVIPが詰めかけた披露宴は、新人区議から成り上がった内田氏の“凱旋パーティー”のようだった。

「ワイド特集 何者!!  何様!!」より

「週刊新潮」2016年9月22日菊咲月増大号 掲載

新潮社

最終更新:9/26(月) 16:12

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