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雨宮塔子さんがたどり着いた 家族全員が笑顔で過ごせる家

CREA WEB 9/26(月) 12:02配信

最終回:彼が値下げ交渉を買って出てくれた

(第24回「予算はオーバー、でも心を鷲掴み!  雨宮塔子さんが出合った美しき物件」のつづき)

 譲れない条件はすべていとも簡単にクリアし、しかもその後丁寧にチェックした私的項目もほぼ満足のいくもの(特に、パリに来てからようやく巡り合えたガスコンロと、作り付けの収納の多さは感嘆もの)だったので、私は嬉しい半面、家賃を思って苦しくもあった。

 正直、ラスパイユの物件よりも素敵なこの物件を見てしまった以上、この家に住みたいという執着は増すばかりだ。しかも、大家さんは“個人貸し”(不動産会社を通したり、保証人を立てたりする必要がない)の上、友人の友人なので、信用もできるし、何かあった時に親身になってもらえる。実際、会ってみたゲイのアメリカ人であるW氏は、人あたりがよく温和で、かつ細やかな心遣いのできる人であった。家賃が予算オーバーなだけで諦めるのには、諦め切れない美点が盛り沢山だった。

 とりあえず、返事は明日まで待ってほしいと言って別れたのだけれど、頭の中はこの物件のことばかり。タイミングが合って一緒に見に行くことができた子供たちも「あのお家、いいねぇ」と声を揃えるのを聞いて、彼が言った。よし、僕が電話して、少し家賃を下げてもらえないか聞いてみるよ、と。

 発想も発想なら、本当に実現もしてしまうのがフランスである。なんとW氏は首を縦に振ってくれたのだった。この家を本当に気に入ってくれた人に貸したいから了承すると。しかも妹のように思っているM子の紹介だからと。有難い話である。M子さんには感謝してやまない。下げていただいた家賃は、それでもまだ若干予算をオーバーしていたけれど、ここで渋ったら女がすたる。かくして私たちの新居は決まった。2カ月弱の夏休みを過ごす日本への帰国まであと1週間もないという、ある晴れた日の夕刻だった。

 慌しく引っ越しを済ませ、とりあえず家具一式とダンボールの山を運び込んだだけという状態で日本へ発ったので、腰を落ち着けてこのアパルトマンに暮らし始めたのは、もうすぐ子供たちの学校も始まるという残暑きびしい8月の終わりだった。作り付けの収納の引き出しをひとつずつクリーナーで磨いて、その後何度も水拭きするのはもちろん、洋服を掛けるラックや、そのラックの差し込み口までひとつずつ磨き上げねば気が済まない自分の性分に辟易したけれど、そうした過程が、引っ越す度に欠かせない私にとっての通過儀礼になっている。清潔感溢れる空間に子供たちを寝かすことで安心感を得て、お気に入りのオブジェを配置することが私に小さな幸せを運んでくれるのだ。

 思っていた通り、家の中心になったのは鳥のさえずりが聞こえるオープンキッチンを構えた、3階のリビングだった。この3階と同様に、子供部屋となった2階、そして私たちの寝室の4階でも、中庭に面した壁側には一面窓が切り取られていて、日当たりは抜群なのだけれど、3階のリビング全体に回る日差しはとくに穏やかで優しいのだ。

 窓側の壁を均等に半分に仕切って子供たちそれぞれの寝室にした子供部屋は、半分にしてしまっても以前のアパルトマンのどちらの子供部屋より広い空間を確保できた。広くて明るく、しかもプライバシーも守られるというのに、子供たちはなにかというとリビングに宿題を持ち込むのだった。

 私たちの寝室となった4階は、最上階で天窓がついていることもあって、一番ロフトっぽい雰囲気を宿していた。かねてから寝室を広く取れることを一番の贅沢だと思っていたけれど、これほど気持ちがいいこととは知らなかった。フローリングの床に背の高い観葉植物を置いて、この気持ち良さをさらに盛り上げてみる。ベッドの他に、書斎として使うデスクやソファなどを置いてもまだ余裕がある。

 前のアパルトマンより1.5倍は広いのに、家賃がそうは変わらないのには、もちろんW氏が家賃を下げてくださったことが大きいけれど、この家が「個人貸し」だったことも忘れてはならないと思う。不動産会社を通していては、この相場相応か、あるいはもっと低い価格での家賃は実現不可能だったろう。

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最終更新:9/26(月) 12:02

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