ここから本文です

【MLB】マーリンズ、エース「16番」を永久欠番。過去、3000本安打達成の現役スター選手も不慮の事故死

ベースボールチャンネル 9/28(水) 6:50配信

飛行機事故で命を落としたクレメンテ

 メジャー球界を突然の訃報が襲った。マーリンズのエース、ホセ・フェルナンデスがボートの転覆事故により急死。24歳の若さだった。

 今季は29試合に登板し、16勝8敗、防御率2.86の好成績。14年に右肘のトミー・ジョン手術を受け、復帰後初めて迎えるフルシーズンだったが、手術前と遜色ない投球を見せつけた。最速100マイルの直球と、球界屈指とされる切れ味のパワーカーブ。数年後にはメジャーでもナンバーワンの存在に上り詰めると、多くのファンや関係者が期待する存在だった。

 現役選手のショッキングな急死だが、メジャーでは過去にも複数のスター選手が不幸な事故で命を奪われている。

 最も有名なのはパイレーツ一筋だったロベルト・クレメンテ。プエルトリコ出身でメジャーにおける中南米出身選手の先駆け的存在だ。悪球打ちで知られる強打の強肩外野手として活躍した。

 1972年12月。地震で甚大な被害を受けたニカラグアへクレメンテは向かった。当地の治安が悪化し、送った救援物資は盗難などにあい、被災者の元へ届けることが難しい状況だった。そこでクレメンテは「ならば私が直接手渡そう」と救援物資を積んだチャーター機に乗り込んだ。

 しかし、飛行機はエンジントラブルによりカリブ海へ墜落。38歳だったクレメンテは帰らぬ人となった。この年は足首の故障に苦しみキャリア最少の102試合出場に留まっていたが、118安打して打率.312をマーク。メジャー通算ではちょうど3000安打に達していた。

 翌73年には実績と、慈善活動に励んだ功績も加味され、特例で「引退後5年」の条件は撤廃され野球殿堂入りを果たした。さらにコミッショナー賞として慈善活動を評価する賞が「ロベルト・クレメンテ賞」と改められた。現在では多くのメジャーリーガーが「最も名誉ある賞」と口を揃える。

マーリンズでは3人目

 もう一人忘れてはならないのがヤンキースのサーマン・マンソン。79年8月に自ら操縦する自家用セスナが墜落し、32歳の全盛時にこの世を去った。シーズン中のオフを利用し、オハイオ州の自宅に帰宅する最中だった。

 ヤンキース一筋の強打の捕手で、ルー・ゲーリッグ以来のキャプテンとして低迷期のチームをまとめて再建した。77、78年にはワールドシリーズ連覇を達成。激しい気性で知られ、「ケンカ屋」の異名を取ったビリー・マーチン監督とやりあうシーンさえあった。

 生涯成績は1423試合で1558安打、打率.292、113本塁打、701打点。そのままキャリアを踏めば、将来の殿堂入りが有力視されていた。

 2人の死後、その背番号はすぐに永久欠番と制定された。

 マーリンズのジェフリー・ロリア・オーナーも、フェルナンデスの死から一夜明けた26日、背番号16を永久欠番とすることを明言した。「もう誰も16番を着ることは2度とない。これだけは言える」と地元メディアに語った。

 93年に創設された新興球団のマーリンズは、永久欠番は30球団共通のジャッキー・ロビンソンの「42」と、「5」だけ。その「5」も初代球団社長のカール・バーガーが、ジョー・ディマジオの大ファンだったために欠番となったもの。バーガー社長は球団創設に尽力したものの、新球団の開幕を4カ月後に控えた92年12月のオーナー会議の最中に大動脈瘤破裂で急死した。「16」は選手出身では球団初の永久欠番となる。

 死後から40年以上が経っても、オールドファンに語り継がれる2人のレジェンド。その系譜に、残念ながらフェルナンデスも加わることになる。

ベースボールチャンネル編集部

最終更新:9/28(水) 6:50

ベースボールチャンネル

Yahoo!ニュースからのお知らせ