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日本の大学は多いのか少ないのか、対立する2つの見解

JBpress 9/28(水) 6:15配信

 現在、日本には大学が777校ある(文部科学省「平成28年度学校基本調査」)。この数を多い(多すぎる)と見るか、けっして多くはないと見るかは、論者によって見解が異なる。

高等教育進学率のグラフ

 この対立を、単なるすれ違いに終わらせないために、現在の姿のままで大学の数を維持するのではなく、大学の「機能別分化」を進めていくべきだという見解も存在している。

 つまり、今のままであれば、大学は多すぎるのかもしれないが、求められる役割を機能的に分担した大学制度であれば、今後とも社会のニーズを満たす存在になるのではないかというわけである。後で述べるように、文部科学省の大学教育政策は、実はこの立場に依拠している。

 しかし、実際問題として、日本の大学の「機能別分化」は、なかなか進展していない。政策として、こうした提起がなされてからすでに10年以上が経つのだが、その結果、日本の大学制度が質的に変化しつつあるようには、贔屓目に見てもみえない。

 それは、なぜなのか。「機能別分化」は必要なことのように思われるにもかかわらず、なぜ進まないのか。今回は、このあたりのことを考えてみたい。

■ 大学の数が多すぎる? 

 いきなり本題に入る前に、争点を整理することから始めよう。

 日本には「大学が増えすぎた」と「大学が足りない」という2つの見方がある。それぞれは一体どんな論拠に基づいているのか。

 まずは、大学が増えすぎたのではないかという見方は、主として2000年前後から、財界人や企業経営者あたりを中心に盛んに主張されるようになった。その背景には、大卒の就職難が深刻化し、社会問題化していたことがある。そうした状況に対して、企業社会を代表する側の論者は、就職難が生じたのは、(企業の責任などではなくて)世の中が必要とする以上に大学生の数が増えすぎたからだと応答してみせたわけである。

 確かに、日本の大学の数が増加し始めたのは、規制緩和が進んだ1990年代のことである。しかし、この時期は同時に、18歳人口の急減期とも重なっていた。その結果、何が起きたのか。

 大学進学率が50%を超えるようになり、この連載でもすでに触れたように、各大学は「大衆化の衝撃」に見舞われることになった。「大衆化の衝撃」とは、端的に言ってしまえば、これまでは大学には来なかったであろう大量の学生たちが、大学に押しかけるようになり、各大学は、さまざま意味で教育上の困難に直面したということである。

■ 大卒は基幹社員? 

 「大学が多すぎる」と主張する財界人や経営者が想定する大卒人材とは、おそらくは、大手を中心とする企業に就職し、いずれは入社した会社の基幹社員となっていくような人材のことであろう。そうした人材像を「標準」と考えれば、大衆化した大学の多くが輩出する卒業生たちは、そうした基準を満たさないことが圧倒的に多い。

 「大学が増えすぎた」とする主張は、まさにこの「落差」の感覚に根拠を置いている。「大学が多すぎる」論とは、以前の連載で紹介したM・トロウの発展段階論に即して言えば、大学制度の発展の「エリート段階」あるいは「マス段階」の前半くらいまでの大学を想定した議論なのである。

■ 世界の趨勢は高進学率? 

 こうした主張に対して、いやいや日本の大学進学率は、世界の趨勢と比べて、少なくともOECD諸国と比較して、けっして高くはないという主張も提出されている。

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最終更新:9/28(水) 10:45

JBpress

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