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技術革新に身命を賭した男の鬼気迫る物語

Book Bang 9/30(金) 6:00配信

 明治維新後、欧米の文化が日本に激しい勢いで流れ込んできた。日本人は貪るようにその知識を吸収していく。特に機械技術の導入は生活を一変させた。

 新橋~横浜間の鉄道は明治五年九月に正式開業、横浜市に最初のガス燈が灯ったのもこの年だ。明治十五年には銀座に初の電燈が点いた。技術が生活を豊かにしてくれる。当時の人たちは心底そう思ったに違いない。

『光炎の人』の主人公、郷司音三郎は明治二十二年、徳島県の貧しい葉煙草農家の三男に生まれた。まわりから「トザ」と呼ばれ、生まれつき手先は器用で、煙草の葉の収穫も誰より手際よく行っていた。

 幼馴染みの大山利平が町の煙草工場で刻み工になる日、見送りに行った工場で動く大きな機械に目を奪われる。誰の手も借りずに台の上で刃が煙草の葉を正確に刻む。大小の歯車が噛みあい機械の動かす速さを操るという仕組みを聞いて、彼は機械の魅力に取りつかれた。ついにはその工場で働くこととなる。

「好きこそものの上手なれ」の諺どおり、音三郎の技術に対する興味は日増しに深まっていく。寝るのも忘れ、自分の給料を返上してでも部品を調達しようという意欲に、周りも協力を惜しまない。日清、日露の戦争に勝ったことで日本全体が技術の向上を目指していた時代だ。

 電気は人の生活をよりよくする、そう確信した音三郎は大阪の伸銅業界へ転職を果たし、電気技術を学び始めた。熱情は衰えることなく、音三郎の頭には仕事のことだけ。技術の習得や開発のためには女も家族も二の次だ。

 若い時代に打ち込めるものに出会えたことは幸せだ。さらに大きな会社に転職した音三郎は無線電信機の製作にのめり込んでいく。電気自体にも理解のない時代に、無線技術の利便性を説くのは難しい。実験を繰り返し、周囲の人たちの理解を得られたころ、音三郎は東京の官営軍需工場に研究員として採用された。研究三昧の日々を送れることは技術者にとって夢だ。だが高い技術をもつ同僚との切磋琢磨は焦りを生む。無線電信機の実用化を目指して没頭する姿は鬼気迫るものだ。彼の開発した技術は多くの方面から注目されていく。自分の技術が認められる、それは音三郎にとって何よりうれしいことだった。

 この物語によく似た実話がある。アフリカの貧しい国の少年が、簡単な物理の教科書をもとに風力発電機を作ったのだ。ゴミ捨て場で利用できるガラクタを集め、人に懇願して譲ってもらい、周りから変わり者だと呼ばれても彼は工夫することを止めなかった。小学生の工作のような風車だが、風しか吹かない村で明かりが灯り、ラジオが聞けるようになり、ついには携帯電話も充電できるようになった(ウィリアム・カムクワンバ『風をつかまえた少年』文春文庫)。生まれながらの理系技術者の努力する姿は音三郎と重なる。国や時代は違っても「物づくりの欲求」に抗えない人たちは確実にいるのだ。

 技術の発展は人々に恩恵を与える。だがそれだけではないマイナスな部分が起こり得ることも知っておかなければならないことだ。昭和に入り、時代は激動の時を迎える。音三郎と彼の技術も否応なく巻き込まれていく。

 物語の終盤に、音三郎が技術の師匠として尊敬していた島崎老人の言葉が蘇る。

[レビュアー] 東えりか(書評家)
※「本の旅人」2016年9月号 掲載

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最終更新:9/30(金) 6:00

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