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大学はアカデミックな教育の場でなくてもかまわない?

JBpress 9/30(金) 6:00配信

 前回(「日本の大学は多いのか少ないのか、対立する2つの見解」 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47933)は、日本には大学が777校あり、この数を「多すぎる」とする見方と「少ない」とする見方があることを述べた。

高等教育進学率のグラフ

■ すれ違う対立

 日本の大学数の多寡をめぐるこうした対立は、一見すると、見解が真っ向から衝突しているように見えなくもない。しかし、実際には、両者の見解は、見事にすれ違っている。なぜなら、双方が「大学」「大学教育」と見なそうとする大学像が、根本から異なっているからである。

 一方では、選ばれたエリートや準エリート層が、アカデミックカリキュラムを学ぶことを通じて、幅広い教養を身につけ、汎用的で転移可能な能力を高める場としての大学。他方では、大衆化した学生層が、「知識基盤社会」に参入していく知識とスキルを獲得し、生涯職業能力開発の場としても活用される大学。2つの「大学」は交じり合わないし、どちらを「基準」とするかに応じて、日本の大学の数は、「多すぎる」ようにも「少ない」ようにも見える。

 その意味で、どちらが絶対的に正しいといった判断はできないが、時代の趨勢をや諸外国の動向を考えれば、「大学の数は多すぎはしない」という見解には、一定の分があるようにも思われる。しかし、そう簡単には裁定できないところにこそ、日本の大学制度の特殊性があるのだ。

■ 国際比較の難しさ

 前回掲載したOECDによる各国の高等教育進学率のグラフをもう一度見ていただきたい(出展は、OECD、Education at a Glance 2012)。

 そもそも教育制度を国際比較することには、多くの困難が伴う。国によって、制度設計の思想や社会的背景が違ったり、教育制度の運用や慣行、文化等が大きく異なる可能性が強いからである。とりわけ、高等教育機関は、国によって発展の経緯が大きく異なり、独自性を持っているので、なおさらである。

 その意味で、このグラフは、そうした「雑音」をすべて断ち切り、1つの尺度のもとに強引に国々を並べてみたものだと理解したほうがよい。だから、以下のような点について注意をしておかないと、その読み取り方を誤ってしまう。

 第1に、OECDは、高等教育機関を「タイプA(大学型。学位を授与する教育機関)」と「タイプB(非大学型。短大や職業訓練等を目的とする教育機関)」に分けて、統計を集計している。先のグラフは、「タイプA(大学型)」への進学率の比較である。

 さて、実はここから先が厄介になる。日本の場合は、タイプAとしては大学進学率のみを報告していて、51%という数字になっている。しかし、短大や専門学校等への進学率を足した「タイプB(非大学型)」は、27%になるので、タイプAとBを足すと78%になる。この数値は、OECD諸国の中でもけっして低くはない。

 第2に、このグラフには、オーストラリアやアメリカのように、タイプAとタイプBを区別せずに、すべてタイプAとしてのみ進学率を報告している国も含まれている。制度上あるいは実態上、区別できないということなのだろうが、比較の観点からは、厳密さが損なわれている。

 第3に、ここでの進学率には、留学生や18歳人口を超えた「社会人学生」も含まれている。グラフ上、96%の進学率で第1位のオーストラリアは、実は、留学生を除外した進学率では67%、25歳までの進学率では51%にまで下がることが分かっている。要するに、日本的な「大学進学率」イメージだけで理解することはできないのである。

 第4に、高等教育への進学率は、イコール「卒業率」ではない。日本の学生の大学卒業率は9割程度であるが、アメリカをはじめとして、この割合が6割台や5割台の国も存在している。とすれば、進学率という「入口」の数値の高さは、必ずしもその国における大卒者の割合の高さを示すわけではない可能性も強い。ここでもまた、日本的な大学像を前提とするわけにはいかないわけである。

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最終更新:9/30(金) 6:00

JBpress

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