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反乱と脱税で冷や飯の晩年 総理の椅子は目前だった「加藤紘一」陽の当たらぬ15年

デイリー新潮 9/30(金) 16:00配信

 去る9月9日、加藤紘一元自民党幹事長が鬼籍に入った。享年77。総理の椅子が目前だった宏池会のプリンスは2000年、当時の政権へのクーデターで失脚する。更に豪腕秘書の脱税、関連捜査が波及するなかでの議員辞職。陽の当たらぬ冷や飯の15年を振り返る。

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 シェイクスピア四大悲劇のひとつ『マクベス』は、3人の魔女の予言に導かれるように、王位簒奪の野心を実行へと移す男の物語である。冒頭、魔女が口を揃えてこう言う。

〈きれいは穢(きた)ない、穢ないはきれい。さあ、飛んで行こう、霧のなか、汚(よご)れた空をかいくぐり〉(福田恆存訳/新潮文庫)

 派閥領袖を務める加藤紘一氏のためにせっせと集金し、穢ないときれいの区別を忘れて司直の手に落ちた秘書の手の穢(けが)れについては後述するとして、元幹事長の運命の転回ぶりをざっとおさらいしておこう。

 山形県鶴岡市の汚れなき空のもと、外務省でのキャリアに別れを告げた加藤氏は、1972年12月の総選挙に出馬して初当選。2回生で大平内閣の官房副長官に抜擢されたのを皮切りに、84年に防衛庁長官で初入閣。91年、小泉純一郎、山崎拓の両氏と「YKK」を結成する一方で、同年11月には官房長官に就任。宏池会のプリンスとして権力の階段を上って行く。

 王位奪取に手をかけた99年9月、総裁選に出馬するも小渕恵三候補にダブルスコアで大敗。当時の担当記者によると、

「小渕には“一度首相をやれたら、しかる後に加藤へ禅譲”というプランがあったのに、加藤は出馬に拘った。だから小渕は加藤を冷遇したのです」

 明けて2000年4月。小渕首相が倒れ、青木幹雄官房長官ら政権与党の幹部5人が密室で、森喜朗氏を“首班指名”。森政権は発足後2カ月で衆院解散へ打って出るも惨敗。それ以降、俗に言う「加藤の乱」は蠢(うごめ)き始める。

 盟友のひとり、山崎元自民党幹事長に聞くと、

「7月に出した『YKK秘録』に全部書いたのでそれを見てください」

 と仰るので、そこから引くと、「10月30日、ホテルニューオータニのスイートルームでの秘密会談」として、大要こんな記述がある。

〈私と加藤は民主党の仙谷由人と会って、「11月半ば以降の本会議でクーデターを決行する。同調してくれないか」と内閣不信任案の提出を持ちかけた。慌てた仙谷は菅直人と枝野幸男を呼び、5人で話し合った〉

 当時、衆院定数480のうち、与党は272。加藤と山崎の両派を合わせれば64で、その多くが寝返れば不信任案は可決する。

「野党というのはチャンスがあれば不信任案を出そうとするものですから……」

 と話すのは、当の菅直人元首相。

「そりゃ(事前に打診は)色々ありましたよ、もちろん。加藤さんとは『自社さ』時代から一緒にやってきたので信頼関係がありました。乱のときも、“自分たちが賛同することで森政権を倒そう”と考えていた。加藤さんはそのことに自信を持っていて、“民主党を含め、野党は大丈夫か”と訊かれたのを覚えています。私も不信任案が通ったら次の政権はどうなるか、色んな頭の体操はしましたよ」

 そして「乱」が水面下から浮上するのが11月9日、「山里会」でのことである。読売新聞の渡辺恒雄会長、政治評論家の早坂茂三、三宅久之、屋山太郎の各氏らが、ホテルオークラの「山里」で開いた会合に招かれた加藤氏は、

「森さんに内閣改造はさせません」

 とぶち上げ、目の前に置いた携帯電話を指でコンコンと叩くと、こう宣(のたも)うた。

「これで菅さんに電話すれば、15分で話がつく」

 明日にでも不信任案を出させ、自分たちの造反によってこれを可決させる用意ありと強調したのだ。結果、

「会の中身は常にオフレコという決まりだったのが漏れ、メディアが報じ、『加藤の乱』が公になりました。明くる朝、やってきた記者らに問われた小泉は、“え、加藤さん、もう言っちゃったの?”と驚いていた。つまり、YKKの間ではすでに話が煮詰まっていたということでしょう」(前出・担当記者)

 別の社のベテラン記者が後を受け、

「小泉は、“世のなか何が起こるかわからんよ”とペラペラ喋っていましたね。最初から加藤と行動を共にするのではなく、森派の会長として森を守り、山崎・加藤の造反を潰す腹だった。もっと言えば、『次は自分』という狙いもあったはず。結局、加藤は小泉に裏切られたということなんです」

 当初から加藤氏は、

「国民を交えた長いドラマが始まります」

 と高揚感をもって訴えたが、11月20日、「本会議場へクルマで向かうも出席さえできず引き返す」という悲劇が待ち構えていた。いや、当人はそれを演じているはずが、世間は三文芝居と呼び、大根役者と口を極めて非難したのである。

「加藤さんは非常に正義感の強い政治家でした。だけどああいう大義のないことを、与党である自分たちでやろうとしたらダメですよ。あのとき僕は本会議場で待ち構え、加藤さんが来たら即除名処分を下す段取りをしていました」

 と、これは切り崩しに奔走した当時の幹事長・野中広務氏の打ち明け話である。

「僕は古賀(誠)君と一緒に何回、“あの秘書のクビを切れ”と言ったかわからへんな。随分、加藤さんの足を引っ張ってしまった」

「あの秘書」こそ、他ならぬ佐藤三郎・元加藤事務所代表(75)である。

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最終更新:9/30(金) 19:10

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