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宇多田ヒカルは天才ではない―新作『fantome』の強みと弱み

女子SPA! 9/30(金) 16:20配信

 突然の人間活動宣言から6年。宇多田ヒカルが、アルバム『Fantome』をリリースしました。ここ半年ほどで彼女の歌を耳にする機会も増え、“おかえりヒッキー”といった歓迎ムードも高まっています。

 そんな中、9月22日に放送された『SONGS』(NHK総合)に出演した折、彼女が興味深いことを話していたのです。

“日本社会にもなじめないし、海外にいても日本人であることを意識させられる。つまり、アウトサイダーなんだ”と。

◆詞のアクセントとメロディが合わないのは「アウトサイダー」ゆえ?

 これを踏まえて『Fantome』を聴くと、その感覚が音楽に如実にあらわれていることが分かります。

 まず、サウンドと曲の関係。サム・スミスなどを手掛けた敏腕プロデューサーによるモダンな手触りとは裏腹に、曲の構成そのものは実に古風な展開なのですね。カラオケで歌い上げたくなるような、起伏の道すじが分かりやすいのです。

 その意味で象徴的なのが、リードトラックの「道」(トラック1)。「Lean On」(Major Lazor)のように、フックだらけでギトギトの展開になるかと思いきや、音楽が横に流れていく意外性がある。洋楽でも歌謡曲でもない。改めて不思議な存在なのだと思います。

 そのうえで気になるのが、詞とメロディの関係性でしょうか。メロディが日本語のアクセントと一致しないので、耳だけでは曲と詞が一体となって捉えられないという難点があるのです。

 たとえばNHK朝ドラ『とと姉ちゃん』の主題歌「花束を君に」(トラック3)の“花束”。サビの歌い出し、歌い終わりで2度ともメロディが違うのです。しかもいずれも単語本来の抑揚と合わないので、曲の足場が定まりません。

 音符とコードの組み合わせだけ取れば、「Everyday I Write The Book」(エルヴィス・コステロ)のように軽やかなのですが、この日本語詞だといかんせんモタついてしまう。

◆言葉のぶつ切りは、もはや宇多田の“味”か

 そしてアクセントのズレ以上に見受けられるのが、言葉のぶつ切りです。文脈や音節の途中で区切ってしまっては意味が通じなくなる部分が、メロディの都合で分断されてしまうのですね。

 また逆に、本来は一息入れて休むべきところをつなげてしまうケースもある。いずれにせよ、曲を聴くときに活字の助けが必要なのは、ポップソングとしては弱みなのではないでしょうか。

 もっとも、そうした部分はデビュー以来からの味でもある。クセの強いチーズと同じで、好きな人にとってはたまらないことも理解できます。

◆宇多田ヒカルは天才なんだろうか?

 しかし、言われるように宇多田ヒカルは天才なのでしょうか?

 ロサンゼルスタイムスに「Stop overusing the word ‘genius’」(天才という単語の濫用は止めにしよう、2016年9月15日)という記事が掲載されていました。

 その中で、スティーブ・ジョブス(Apple創業者)やマーク・ザッカーバーグ(Facebook創業者)が天才でない理由が、こう説明されていました。

「彼らは私たちの暮らす世界は変えたと言えるかもしれない。しかし、いまだ世界の見え方を変えるには至っていない」

 宇多田ヒカルのアウトサイダー的な音楽も、Jポップの異形が洗練した形で立ち現れているだけだと考えると、いったん重たい冠を外してあげたほうがいいのかもしれません。

<TEXT/石黒隆之>

女子SPA!

最終更新:9/30(金) 16:20

女子SPA!

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