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世界大学ランキングとは何なのか? --- 神谷 匠蔵

アゴラ 10/1(土) 7:11配信

先日THEの世界大学ランキング2016-2017年度版が発表され、早速日本では東京大学が前年の43位から39位へと若干の向上に留まり、アジア首位の座を逃したことを嘆くかのような報道が見られたかと思えば、今度はロイターの「革新的大学ランキング」にて東大がトップ16位入りし、他にも国内大学が合計9つトップ100入りしたという報道が出た。

国内では「世界の大学ランキングなど上位の大部分を占める英米の自画自賛に過ぎない」と見做す冷めた風潮が通奏低音として下方で鈍く響き渡っている一方で、上方の大学関係者や政府、財界等の間ではこの事態を「憂慮」する向きもある。

だが、そもそも世界の大学ランキングは何のランキングなのか、という点が明らかに明示されないまま印象だけで一喜一憂していてもあまり意味はない。

例えば、先日発表されたTHEに関しては、その審査方法(https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/methodology-world-university-rankings-2016-2017)はある程度詳細に公表されているが、これによれば、各大学のパフォーマンスは

・Teaching (the learning environment) 教育(学習環境)
・Research (volume, income and reputation) 研究(量、収入および評価)
・Citations (research influence) 引用数(研究の影響力)
・International outlook (staff, students and research) 国際的観点から(外国人の教員および学生数、また研究に関わる外国人研究者数)
・Industry income (knowledge transfer) 産業界からの収入(知識の流動性)

という五つの項目から評価され、最初の三項目がそれぞれ30%、残りの10%の内2.5%を国際的観点、7.5%を産業界収入が占める。

こうしてみると、最後の「産業界からの収入」に関しては、基本的な財源として国家財政の支出に頼る日本の国立大学が、産学連携の研究を進める米国の名門私立大学に対して分が悪いのは明らかだ。また、国際性という点でも、日本語という言語の独自性や地理的条件の制約等の要因により、学生および教員の大部分が日本人のみで独占されている日本の大学が不利であるのは言うまでもない。

加えて、英語論文のみが評価の対象となる場合、日本語による研究を主軸とせざるを得ない文科系の業績は一切考慮に入らないし、そもそも文科系の研究はそれほど多数の引用を必然的に要求するわけではない。例えば哲学史の研究において、日本のカント研究者が、「日本におけるカント研究」という文脈の中で重要な研究を日本語で発表したとしても、海外のカント研究者がそれを引用することは非常に稀である。否、例え英語やドイツ語で発表したとしても、そもそも研究の背景が全く異なっているし、西欧基準から見て日本人研究者の「英語」論文が引用に値する質を有していると評価されるのかという点にも疑問は残る。

従って、大学ランキングは主に、そしてあくまで理科系、それも産業と密接に関わる自然科学系の「実学的」研究の質という、商業的関心を色濃く反映したという意味で欧米的というよりは「英米的」、もっと言えば「アメリカ的」なランキングである。

それがどういうことを意味するかというと、東京大学文科一類の「合格者平均偏差値」の方が、東京工業大学のそれより高いという理由で文一の方が東工大より「上」だと見るような、純学力的な日本的「大学ランキング」とは全く質的に異なるランキングだということだ。

つまり、入学者の学力水準(あるいは客観試験における点数)に焦点を当てた日本の大学ランキングの延長線上に世界大学ランキングあるかのように報道すると、大きな誤解を招く。

「何でもアメリカが一番」という実にアメリカ的なイデオロギーを素直に受け入れてしまっている日本人の中には、アメリカの大学の優位性を少しも疑わない人も多い。だが、学部生の「総合的学力」や学部卒業生の新卒市場における価値という点で言うなら、世界大学ランキングの上位校が果たして東大に対してランキング上におけるような圧倒的な差で優位に立っているのかというと、それは少々不正確であるように思われる。

例えばアメリカの名門私立大学(Ivy League)の場合、入学審査において「学力試験」そのものの重要度は決して高くない。競争率が高いことや、合格が難しいことは確かだが、それは何も合格難易度に比例してより高い「学力」が求められているわけでは必ずしもないのだ。むしろ、ハーバード大などリベラル色の強い大学ではaffirmative action等の政策的配慮にによって学力とは全く関係のない「人種」や「社会的マイノリティ性」に対する優先差別が横行し、学力の高い白人及び東アジア人(主に中国人だが、日本人もこの範疇に含まれる)は同程度の学力の他人種より不利になっている。無論、こうした状態を「多様性」の実現として肯定的に捉える向きもある。

だが、今年THEのトップに立ったオックスフォード大学や英国内で不動の王者の地位を占めるケンブリッジ大学を中心とする英国の大学序列は、日本と同様に偏差値主義的な傾向を強く帯びている。英国の大学は確かに世界ランキングでも比較的高く評価されているが、世界ランキングの順位がそのまま英国内における大学の「偏差値ランキング」とぴったり一致するわけではない。

普通の英国人の大学序列観の常識の重要な指標のひとつとなっているのはThe Complete University Guide(http://www.thecompleteuniversityguide.co.uk/league-tables/rankings?o=Entry+Standards)のLeague Tableであるが、ここでははっきりと各大学が合格者のA levels(日本のセンター試験のようなもの、あるいは国際バカロレアのような高校卒業資格試験の英国版)の平均点で序列化されている。

これを見れば、今回世界ランキング一位になったオックスフォード大が、ケンブリッジ大学より「上」と認識されるなどということは、少なくとも英国の偏差値ランキング上においてはありえないことがわかるだろう。オックスフォードとケンブリッジの間には雲泥の差が開いており、ケンブリッジに入れるかどうかはっきりしない場合、妥協してオックスフォード志望に変えるよりはケンブリッジに挑戦し、ダメならインペリアルでいいという理系、あるいはLSEかダラムでもいいという文系は少なくない。そして彼ら「ケンブリッジ落ち」組はそれぞれ第二志望の大学で着実に好成績を残して大学院入試で再びケンブリッジを目指すのである。英国には、英国流の学歴秩序が厳として存在し、それは産業界のつくる大学ランキングくらいで簡単に壊せるものではない。

つまり、大学ランキングの恩恵を受けているはずの英語圏の間でさえ、「世界大学ランキング」の捉え方にははっきりとした温度差があるのだ。実際に学力そのものを重視する伝統が多少なりとも残っている英国では、日本で見られるような「大学ランキングなんて」という冷めた意見はよく聞かれる。

果たして日本の大学は、米国の大学に習って学問を商業化していくべきなのであろうか。あるいは、西欧と共にあくまで伝統を守り米国の商業主義の圧力に耐え抜くのか。

前者を選ぶなら、日本はこれまで通りアメリカの後を追う「二流国」として、アメリカのはるか後方に位置する「三流国」を下に見続けることができるだろう。

後者を選ぶなら、アメリカの失敗が取返しのつかないところまで来たとき、日本はそれまで蓄えてきた自国の底力を誇れる日が来るかもしれない。

日本の大学から消えつつあるとは言ってもまだ残っている古い学問の伝統にも、アメリカの大学にはない価値がある。

尤も、伝統など金にならないという意見にも、学問の権威を笠に簡単に却下することを許さない説得力がある事実は直視しなければならない。

しかし、アメリカの「儲かる」学問を支えているのは決してアメリカ育ちのアメリカ人のみではなく、英語を lingua franca として共有するアジアやヨーロッパのエリート集団が体現する様々な知的伝統の遺産なのではないだろうか。

世間を騒がせている有名どころの「世界大学ランキング」の多くは、こうした数値化しがたい、目に見えにくいものの価値までをも反映しているわけでは決してないということを、今一度確認すべきだろう。

神谷 匠蔵

最終更新:10/1(土) 7:11

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