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<圓朝、米朝、談志>落語の寿命を100年延ばした5人

メディアゴン 10/1(土) 10:10配信

齋藤祐子[神奈川県内公立劇場勤務]

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落語の寿命を100年延ばした、というフレーズは落語立川流家元・故立川談志への称賛に満ちた形容詞だが他にも落語をその時代に合わせモデルチェンジをして寿命をのばした立役者たちがいる。名人上手とはまた別の視点で選んでみれば。

<1>三遊亭圓朝

明治の口語から現代の話し言葉、書き言葉が地続きであることから、近代文学と現代文学の境界線は明治で引かれることが多い。その明治期に活躍し、今に残る多くの古典落語の名作を作ったのがこの人。

それまでの落語とは異なり、講談にも通じる物語性の強い大ネタの人情噺や怪談噺を生涯に数多く作った。速記本となった流暢でテンポの良い口語は、出版されるやいなや話の面白さもあいまって大ヒットした。

圓朝の名演を聞いている人はもとより、当時の文筆家にまで広く読まれることになり、活き活きとした会話を主体とするその文章は同時代の小説家の文体にも多くの影響を与えた。これが日本文学に「言文一致体」を生み出すきっかけのひとつになったとも言われている。

言文一致体、というからには、それまでは書き言葉と話し言葉が完全に分離していたのだ。市井の人々の使う躍動感ある話し言葉が、これ以降、文学作品にも取り入れられていくことになる。

落語からすれば、今でも口演される大ネタ、『文七元結』、『塩原多助一代記』などの人情噺や怪談噺(『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』、『牡丹灯籠』など)の多くがレパートリーとして語り継がれる共通の財産となった。

まさに明治という時代の変わり目、近代から現代へ向かう激動の時代に、江戸から続く落語の世界に新しい息吹を吹きこみ、同時にその時代の話し言葉・近代的な感性で、江戸の風物や人情を活写していった、ということか。

圓朝は江戸末期、いわゆる幕末に生まれ、明治33年までを生き、その才能―――

実演家、噺のうまい落語家としても別格、それに加えて印象に残る名シーンの続く人情噺や因果応報の因縁に満ちた大作の怪談噺を多く作り――を注ぎこんで20代から50代を駆け抜けた感がある。

そして圓朝の落語は落語会のトリを務める真打の大ネタとして今でも色褪せず多くの落語家に演じられている。

同時代から近過去になりつつあった江戸の風物は、圓朝という鬼才により、明治という時代に一旦モデルチェンジされ寿命を延ばすことになった、ということだろう。

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最終更新:10/1(土) 10:10

メディアゴン

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