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それにつけてもおやじはヒール――真田昌幸の「最期」読み比べ

本の話WEB 10/2(日) 12:00配信

 真田昌幸パパの喪中につき今回の更新はお休みさせていただきます。

 ――てなわけにもいかないようなので書く。書きますとも(泣)。『真田丸』開始以来、視聴者は室賀ロス・秀次さまロス・おばばさまロスをなんとかくぐり抜けてきた。そして超高速関ヶ原。治部&刑部ロスの痛みも癒えないうちに、ついにこの日が来ちまったよパパン……。

 ドラマでは信繁に後を託し、家族と家臣に看取られて旅立ったパパだったが、その場面、小説ではどう描かれているんだろう?

 ということで今回は、昌幸の最期が登場する小説を三冊、読み比べてみる。テキストは中村彰彦『真田三代風雲録』(実業之日本社文庫)、真田小説の永遠の金字塔・池波正太郎『真田太平記』(新潮文庫)、火坂雅志『真田三代』(文春文庫)だ。

 まず前提として、昌幸と愉快な仲間たちが九度山にいた頃は、家康と淀君が「秀頼ぃ、京都まで出てこいよー」「きーっ、うちの子気安く呼ぶんじゃないわよ会いたいならそっちが来なさいよ」とツノを突き合わせ、間を取り持つ加藤清正が「まあまあ、ここは俺に免じて。悪いようにはしねえから、な?」と奔走していた時代だったことを押さえておこう。なので三作ともに、そんな世間の動きと九度山が並行して語られている。

 そしてもうひとつ、三作に共通しているのは、九度山にいながらも昌幸は関ヶ原の雪辱を諦めていないことだ。情報を集めては、やがて訪れるであろう江戸と大坂の対決を予想し、策を練っている。このあたり、ドラマでは赦免がないことを悟って少しずつ力を落としたように見せかけて、実はちゃんと策を考えていたパパを彷彿とさせる。ニヤニヤ笑いの草刈正雄が浮かんでくるぞ。

昌幸、まさかのナレ死!?

 まずは中村彰彦『真田三代風雲録』。秀頼の上洛を巡って家康と淀君の緊張が高まってきたという話を書きながら(以下、有働アナの声でお読みください)、

「しかし、それは昌幸の知るところとはならなかったに違いない。慶長十五年(一六一〇)のうちから老いゆえに病みついた昌幸は、翌年、家康が二条城で秀頼と会見したときには死の床に臥しており、『めでたく平癒したら一度会いたし』と信之に書き送りながら六月四日をもって死去した。実に幽閉十二年目、享年は六十五、戒名は一翁干雪大居士という」

 ナレ死! 昌幸パパ、まさかのナレ死!

 では池波正太郎『真田太平記』はどうか。昌幸が病に倒れるのが全12巻のうち第8巻の最終章だ。その後、小康を得た昌幸は散歩中に転倒、小枝のようなものが鼻腔に突き刺さって出血が止まらず、「この夜、真田昌幸は危篤におちいった」とある。

 パパの死因、鼻血!? ――というところで「9巻に続く」と来るからたまらない。慌てて9巻をめくると加藤清正と浅野幸長が伏見で会ったなんていう場面で、パパどうなったの! とジリジリする。すると、浅野幸長が馬でぽくぽく歩いて「春だなあ」なんて言いながら、いきなりこう述懐するのだ。

「九度山の真田安房守昌幸の病が快方に向かったかとおもうと、何やら庭で転倒し、鼻腔からの出血がとまらず、一時は危篤になったそうだが、いまは、どうやら出血もとまったそうな」

 ナレ死ならぬナレ蘇生、いや、浅野幸長による説明蘇生! ドラマで関ヶ原の結果が佐助の報告で終わったことを思い出す。そこ見せてよ!

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最終更新:10/2(日) 12:00

本の話WEB