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子どもの目線で、ジャングルを見あげて

Book Bang 10/2(日) 12:00配信

 子どものころに読んだ本の情景は、そのときの自分の目線の高さのまま、心に焼きついているものです。

 私が子ども向けの『ジャングル・ブック』を初めて読んだのは、小学校低学年のころだったでしょうか。公園で見かけたり、友だちの家で遊ばせてもらったりした大きな犬たちの姿から、オオカミの兄弟に囲まれた自分を思いうかべたこと、伝わってくるその体温の高さや、なめらかな毛皮の手ざわりから、黒ヒョウのバギーラの首に抱きつく感触を想像したことは、そのころの自分の手の小ささまでも含めて、いまでもはっきり憶えています。

 大人になって読みかえしたときと比べ、目の前に広がる情景のもっとも大きな差は、その目線の高さかもしれません。何もかもが自分よりも大きく、世界を見あげながら生きていた年ごろです。想像の中の獣たちはなんと大きく、両腕を回しても抱えきれないほどたくましく、圧倒的に力強かったことか。

 子どもの想像できるインドの密林には限界があり、あちこちに自宅の庭や公園の風景が混じりこんで、脳裏には奇妙に日常と地続きのジャングルが広がっていました。

 たとえば、作中で獣たちは火を《赤い花》という言葉で呼びますが、これはおそらくはインドに広く分布する、燃えさかる炎のような形をした、オレンジがかった赤のハナモツヤクノキの花を指すのでしょう。それなのに、子どものころの私が思いうかべていたのは、わが家の庭にあった赤い椿の花だったのですから。

 それでも、子どもにとっては日常の世界でさえ、未知のもの、正体のわからないものがそこここに潜んでいるジャングルなのです。そこを舞台に、はたして自分は遠くの村まで走っていって、ひとりで《赤い花》をとって帰ってこられるだろうか、一歩も退かずトラやオオカミたちに立ち向かえるだろうか、サルたちに誘拐されても、おちついてトンビに自分の居場所を伝えられるだろうかと、私は主人公の少年モーグリのひとつひとつの冒険に、自分を重ねあわせて想像をふくらませていたものでした。

 大人になってからあらためて読みなおしてみると、印象に残るのはむしろモーグリや周囲の獣たちの、細やかな心の動きです。作者のキップリングはインドで幼少期を送った後、妹とともにイギリスの知人宅に預けられ、そこで六年間をすごしました。幼いキップリングにとって、そこでの日々はつらく苦しいものであり、物語を読んで空想の世界に逃避することで、寂しさをまぎらせていたといわれています。赤んぼうのころからオオカミに育てられ、さまざまな獣たちに見まもられながら育つモーグリが、つねに誰かしらの尽きせぬ愛情に支えられているのは、そんな経験を味わったキップリングだからこそ、子どものかたわらにはつねにこんな温かいまなざしを注ぐ存在がいてほしいと、その思いをこめた結果なのかもしれません。

 物語の中で、モーグリはオオカミの群れを追われ、人間からも化けものあつかいをされるという、孤独な状況に追いこまれます。それでも、子どものころの私の記憶に、そうした痛ましい思いがあまり生々しく刻まれていないのは、そんなときでさえも、家族と数匹の親しい友は、つねに変わらずモーグリの味方でいてくれたからでしょう。オオカミの家族、バギーラ、クマのバルー、ヘビのカーたちは、モーグリになったつもりで物語に入りこんでいた子ども時代の私の心も、温かく守っていてくれたのです。

 本書には、まさに力強い獣たちの体温、ふさふさした毛皮の手ざわりが伝わってくるような姫川明月さんの挿絵もふんだんにちりばめられています。どうか多くの子どもたちが、心の中に自分なりのジャングルを思いうかべ、そこでの冒険に胸を躍らせることができますように。

 ◇角川つばさ文庫◇

[レビュアー] 山田蘭(翻訳家)
※「本の旅人」2016年9月号 掲載

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最終更新:10/2(日) 12:00

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