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J史上6人目の金字塔達成もあくまで通過点… 浦和主将が見据えるタイトル奪取への思い

Football ZONE web 10/2(日) 8:00配信

阿部が実質16年半でたどり着いたJ1通算500試合出場

 浦和レッズの元日本代表MF阿部勇樹は、史上6人目で最年少となるJ1通算500試合出場を達成した1日のガンバ大阪戦の後に、「皆さんにおめでとうと言ってもらうけど、チームが勝ち点3を取れたことの方がうれしい。何よりも勝ったのが一番」と、変わらない謙虚な言葉を残した。

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 阿部のJリーグデビューはジェフユナイテッド市原(当時)に在籍していた1998年8月5日で、その時の相手もG大阪だった。高校2年生にして、当時の史上最年少記録である16歳333日でデビューした試合のことは、今でも記憶にあるという。

「負けました。Vゴール負けかな。途中から出て、スコルテンとたぶん交代して、マークの受け渡しがはっきりしなくて、播戸さんか小島さんのどっちかにやられたと思う」

 その記憶の通り、阿部は後半終了間際の44分に交代出場し、延長前半9分にFW播戸竜二のゴールによって当時の制度であったVゴール負けを喫していた。それから約18年間、2010年6月から1年半イングランドのレスター・シティでプレーしていたことを考えれば、ほぼ16年半での達成となった。

「若い時は未熟な感じだった」

 若き日の阿部は、高い技術を持つもののケガの多い選手というイメージが付きまとった。自身も「若い時は未熟な感じだったんで、だからケガも多かった。だから、まだ全然ダメだったと思う。やるたびにケガしていたから。トレーニングでしっかりやることによって、体が鍛えられてきた」と、着実に積み上げてきたものの成果が今につながっていると話した。

 試合が終われば浦和のトレーニング施設でケアをしてから帰宅するなど、小さいことを積み重ねながら万全のコンディションを維持するための努力を重ねている。今ではJ1での連続フル出場を124試合に伸ばすほどに、大きな負傷をしない強靭な肉体を手に入れた。

 試合後にはミハイロ・ペトロヴィッチ監督から、記念の花束を渡された。“ミシャ”の愛称で慕う指揮官は、阿部が12年に浦和への復帰を決断した大きな要因になっている。

「レッズにイギリスに行って戻ってきたのは、ミシャ監督とやりたかったというのがあったので。やっぱり一緒に戦ってきて、監督をまだ何も喜ばせていないと思うので、なんとか監督が喜ぶような結果を出したいと思う。それもモチベーションの一つですね」

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最終更新:10/2(日) 9:58

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